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国立精神・神経センター 金 吉晴
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PTSDはベトナム戦争帰還兵士に見られた戦闘体験の心理的後遺症の研究や、第一次、第二次大戦における戦争神経症の研究から発展した概念です。1980年に初めて米国精神医学会の「診断と統計のマニュアル第3版(DSM―III)」に登場して以来、その診断基準には多少の変更が見られますが、しかし、生死に関わるような衝撃を体験したことによって、その体験の記憶が、ありありとした情動や知覚を伴って再体験され、現実の判断や行動の障害となることが病理の中心であることには変わりがありません。
診断のためには、現在ではDSM―IVの基準を用いることが一般的です。またWHOによるICD―10にも診断基準が収録されています。以下では、使用されることの多いDSM−IV(日本語版:医学書院)の基準に従って、留意点の説明をします。同基準を参照しつつ、お読みください。
なお、臨床診断と、精神鑑定などの司法での診断では、求められる厳密さに相違がありますが、本稿は一般的な治療のための臨床診断の解説を目的としたものです。
1 出来事基準
生死に関わる出来事を直接に体験するか、直面させられることが必要です。出来事の種類は診断基準のA項目に具体的に挙げられていますので、個人的な判断で違う種類のものを追加することは出来ません。注意すべきなのは、主観的にどのような恐怖を感じたとしても、客観的にベトナム戦争などに匹敵するような状況でなければ、この基準は満たされないということです。より軽い出来事によって恐怖を感じ、以下の症状基準が満たされる場合には、「適応障害」の診断になります。
また本人の訴えている出来事の他に、現在の症状と関係のある別の出来事がないかを常に検討すべきです。
場合によっては出来事の有無が客観的に確認できないことがあります。また、果たしてDSM−IVで定義をされている出来事基準に合うのかどうか、判断に苦しむことがあります。その場合は暫定的にPTSDの臨床診断をつけ、診断が暫定的であることを意識しつつ治療を行うことになります。併存診断(DSMのT軸、U軸診断)や本人の置かれている社会的な状況に注意を払い、PTSD診断を付けて治療をすることが本人にとって最善の利益をもたらしているのかどうかを、常に検討する必要があります。
2 症状の内容
診断基準の文章に照らして、合致するかどうかを判断します。本人の訴えに機械的に基準を当てはめるだけではなく、その症状が、原因と考えられている体験によるトラウマの直接的な結果として生じているかどうかを検討する必要があります。例を挙げるならば、示談の交渉によって出来事を思い出すことは侵入(再体験)症状ではありません。うつ病を合併したために意欲がなくなったことは回避麻痺ではありません。傷の痛みやカフェインの過剰な摂取のためにいらだってしまうことは、過覚醒症状ではありません。
子どもの場合は、症状を言葉で訴えることが難しいので、遊びや行動、生活の変化の中から、医療者の判断で症状を同定しなくてはならない場合があります。
3 症状の持続
代表的な3症状が1ヶ月以上持続した場合にPTSDの診断が下されます。したがって、体験後1ヶ月以内はPTSDの診断を下すことは出来ません。ただし、症状の開始時期は体験後1ヶ月以内であっても構いません。
4 機能障害
PTSDの診断のためには、その症状によって生活機能に重大な支障が生じていることが必要です。症状のために外出ができない、仕事ができない、などです。一見仕事ができていても、病的飲酒や浪費が増えたり、家族や友人とのトラブルが増えていることも、機能障害に相当します。 5 鑑別診断・併存診断
DSM―IVでは複数の診断基準が満たされたとき、排他的に特定の診断を決めるのではなく、併存診断として複数の診断を付けることが認められています。
I 軸診断のうち、不安、抑うつ系の障害は高率に合併します。うつ病、全般性不安性障害、恐怖症、パニック発作など。このうち、恐怖症は現実対象への恐怖ですが、PTSDは記憶表象への恐怖という相違があります。恐怖症は具体的な特定の対象によって恐怖が生じるというもので、対象を連想させる刺激によって恐怖が生じるものではありません。パニック発作の場合は明確な誘因が無くても発作が起こります。これに対してPTSDでは出来事を連想させる様々な刺激によって恐怖が生じるという相違があります。
たとえば乗り物恐怖の場合には乗り物に近づくことによって恐怖が生じますが、乗り物の事故によるPTSDの場合には、そのことに関する新聞記事など連想させる刺激によっても恐怖が生じます。恐怖症でも迷走血管反射を生じたりパニック発作を合併した場合など、重症化する場合があります。また恐怖の対象に頻繁に遭遇している場合には、そのことを夢にも見ますので、PTSDとの区別が難しいことがあります。
II 軸診断のうちでは境界性人格障害などが合併することがあります。ただし、虐待などの長期的な被害を受けた場合には、PTSDの診断基準には書かれていない人格行動面の変化が生じるとの報告があり、そうした変化に対してDESNOSといった診断基準も提案されていますが、まだ正式には認められていません。そのような方に対して、現行の診断基準では境界性人格障害などが当てはまることがあります。言うまでもなく、先行する人格障害の上にトラウマ被害が生じる場合もあります。
PTSDは、伝統的な診断としては心因反応に属しています。その中で特に関連が深いのは死別反応ですが、この診断はDSM―IVには採用されておらず、付録に記載されているだけです。PTSDが思い出したくないものを忘れようとするのに対して、死別反応は忘れたくないものを思い出すという違いがあります。家族が犠牲になった場合など、PTSDと死別反応が合併することがあり、その場合、病像は複雑になります。これ以外にも、驚愕反応などの原始反応、拘禁反応、賠償神経症など、今日では必ずしも認められていない診断の中にも、PTSDの病態を正確に理解する上で検討すべき病態があります。
以上の診断がついたとしても、そのことでPTSDの診断が否定されるものではありません。しかし本人の訴えが主としてどのような病態から生じているのかを理解する上で、これらの診断を検討しておく必要があると言えます。
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