第16巻第1号(2018年8月発行)抄録集

公開日 2018年09月06日

巻頭言

 2016年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の件数は122,578件と報道された.26年連続で過去最多を更新している.さらに年齢別にみると0歳から小学生までの学齢期の子どもが被虐待児全体の7割を占めている.虐待のような身体的,精神的な暴力が一定期間繰り返されると,深い心の傷(複雑性PTSD)となり,それが情緒的な問題や行動上の問題を引き起こす.当然,それは青年期以降の不適応の問題へとつながっていく.
 現に学校現場では,多くの被虐待児あるいは,その疑いのある子どもを抱え,手探りの対応が行われている.たとえば,性的虐待を受けた子どもが他児に対して年齢不相応な性的言動を発したり,担任に対して必要以上にまとわりつき,しがみついたりする.教職員は虐待による心身の傷つきや情緒的な不安定さを理解しながらも,その言動や行動に動揺し,対応に苦慮し,ときに疲弊している.
 このときに被虐待児の心理を理解しないまま,罰を与えるような対応がなされれば,被虐待児にとって二重三重の傷つきとなり,将来にわたりトラウマによる心身への影響が懸念される.しかし,トラウマに詳しい精神保健の専門職が性的虐待を受けた子どもの心理・行動的特徴について心理教育を行い,支援方法について検討し,チームで心のケアにあたることができれば,学校が心理的なケアの場として機能することになるだろう.
 2017年9月に心理職初の国家資格法である公認心理師法が施行された.公認心理師法の第42条には被援助者の関係者との連携を保つことが義務づけられている.これまでも学校分野において心理職は教職員や関係機関との連携を行ってきたが,公認心理師はその法的な根拠を持つことになる.トラウマを抱えた子どもやその家庭の問題を個人の力だけで対応するには限界がある.アメリカで拡がりをみせているトラウマ・インフォームド・ケアのように精神保健の専門職を交えた,トラウマを理解した組織的な支援が今後の日本の学校教育にも求められるのではないだろうか.

2018年4月
帝京平成大学
松浦 正一

[特集 複雑性悲嘆の治療]

特集にあたって

中島 聡美*1・伊藤 正哉*2

 愛する人の死に対して強い嘆き悲しみなどの悲嘆反応が起こることは正常の反応であるが,病的な悲嘆の存在については長く議論がなされてきた.1990年代以降,急性期の悲嘆反応が長期に強いまま継続した状態が「複雑性悲嘆(complicated grief)」などの名称によって概念化されるようになった.この複雑性悲嘆は愛する人との死別を体験した者のうちの一部に認められ,その予後が不良なことから精神疾患としてとらえるべきという研究者のアプローチがある.DSM-5(2013)では「持続性複雑死別障害」,ICD-11(2018)では“prolonged grief disorder(遷延性悲嘆障害,筆者仮訳)”として診断基準が提示されている.精神疾患とされる以前から,複雑性悲嘆に苦しむ遺族に対して治療法が模索され,すでにいくつかの有効な治療法が報告されてきており,本邦でも研究者らがすでに海外で開発されている治療法の日本国内への適応や新たな治療法の開発に取り組んできている.
 本特集では,このような日本での複雑性悲嘆治療の取り組みについて3つの事例報告をとりあげた.一つは,Shearら2)によって開発されたcomplicated grief treatment(CGT)であり,複数の無作為化比較試験によって対人関係療法や薬物療法に比較して優れていることが報告されている2)3).CGTは,中島ら1)によって日本での予備的研究がなされており,文化差のある日本においても有効性が示唆されているものであるが,今回岡崎氏より一般臨床での適応を行った2事例について報告して頂いた.もう一つは,Wagnerら4)が開発したインターネットを利用した治療である.災害など心理臨床や精神医療の専門家が不足している地域では今後インターネットベースの治療の役割は大きいと考えられる.この技法を,日本に導入し実施可能性の研究を行っている白井氏から自死遺族事例への適応についてまとめて頂いた.最後に,日本で新たに開発した複雑性悲嘆の集団認知行動療法について,黒澤氏に精神保健福祉センターでの実践についての報告を頂いた.
 本稿を執筆中にも西日本で激しい豪雨災害が発生し,多くの方が亡くなっている.災害や自死,事故など悲嘆に苦しむ遺族もまた多く存在する.本特集が,遺族の治療やケアを行っている臨床家に役立てば幸いである.

文献

1)中島聡美,伊藤正哉,白井明美他:複雑性悲嘆の認知行動療法の適応性および有効性に関する研究.国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所年報,29;241.2016
2)Shear,K.,Frank,E.,Houck,P.R.,et al.,:Treatment of complicated grief;a randomized controlled trial.JAMA,293;2601-2608,2005.
3)Shear,M.k.,Wang,Y.,Skritskaya,N.,et al.:Treatment of complicated grief in elderly persons;a randomized clinical trial.JAMA Psychiatry,71;1287-1295,2014.
4)Wagner,B.,Knaevelsrud,C.,& Maercker,A.:Internet-based cognitive-behavioral therapy for complicated grief;a randomized controlled trial.Death Stud.,30;429-453,2006.

複雑性悲嘆治療の実際

岡崎 純弥・中島 聡美

重要他者との死別は,多くのものがいずれは直面する事態であり,疫学的な調査によると,そのなかの数%が複雑性悲嘆に罹患することとなる.本稿では,まず複雑性悲嘆について概観したのち,治療法のひとつである複雑性悲嘆治療を紹介した.そして,暴力的死別,病気による死別という異なるタイプの2事例について実際に複雑性悲嘆治療を実施し,悲嘆症状,抑うつ症状などの軽減をみた自験例を提示した.

電子メールを用いた複雑性悲嘆の認知行動療法

白井 明美・中島 聡美・Birgit Wagner

2000年以降,複雑性悲嘆に焦点を当てた認知行動療法の有効性が報告され,国内でも臨床が進められている.しかし,精神科治療や心理療法への来談が困難な遺族も少なくない.遺族にとって,インターネットを含む遠隔での介入が支援の選択肢の一つにあることは有益と思われる.Wagnerらは遺族を対象とした認知行動療法プログラムを開発したが,筆者らは現在日本での実践を蓄積している.治療者と対象者は5週間にわたって電子メールの送受信および数回の短時間の電話によって交流する.対象者は自宅等PCにて筆記10回の筆記課題を行い治療者へ送信し,相談者に応じた返信を受け取る.本法は,筆記による開示と認知行動療法の2要素から構成され,①死別のきっかけへの曝露,②統合と修復,③認知的再評価の3段階へと進行する.本稿では,セッション内容と特徴,自死遺族の自験例を概説した.日本での臨床における課題と今後の展望について言及した.

複雑性悲嘆の集団認知行動療法(ENERGY)の実践

黒澤 美枝・佐々木志帆子・上田 光世・中島 聡美・金  吉晴

本邦では,複雑性悲嘆症状を有する遺族に対する,集団認知行動療法プログラム(ENERGY:Enhancing Natural Emotional Recovery For Enduring Grief and Yearning―悲しみとともに生きる)が開発されている.本研究では,ENERGYの有効性と実施可能性を,対照群をおかない前後比較試験によって予備的な検証を行った.本稿では地域での実践にもとづいて,その準備や経過,事例を含めて,ENERGYの具体的内容を報告した.今後は,効果検証の継続の他に,フォロー体制の検討や実施者の技術訓練の継続が必要である.

複雑性PTSDの診断と治療

金  吉晴・中山 未知・丹羽まどか・大滝 涼子

児童期の反復的,持続的虐待による長期的な影響を念頭において提案された複雑性PTSD概念は,PTSDとの症候論的な鑑別がさまざまに試みられてきたが,ICD-11においてPTSD症状とDSO(自己組織化の困難)症状からなる診断カテゴリーとして認められた.ただし出来事基準はPTSDと同一である.中核モデルである児童期虐待を主要な対象としてSTAIR/NST療法が考案され,効果が実証されてきた.STAIRではDSO症状である感情制御の困難,否定的な自己概念,対人関係の困難のそれぞれに対して,修正的な治療を行う.児童期に虐待を受けた患者は,その最中の複雑な強い感情を区別し,命名し,コントロールすることを学ぶ機会が失われ,そのために感情的混乱に陥りやすく,生活では感情的関わりから引きこもりがちである.対人関係については,他者からの否定的行動,反応を予測する対人関係スキーマのために,意味のある活動が困難になりやすい.治療ではこれらに順次取り組み,感情の価値に気づき,肯定的な対人関係の構築を試みる.NSTは持続エクスポージャー療法に似るが,対人関係スキーマとの関連でトラウマ記憶を扱うことが特徴的である.こうした治療を通じて,これまで治療困難と思われてきた,児童期虐待を背景とした成人PTSDの理解と支援が進むことが期待される.

小児期からの複雑なトラウマを持つ成人へのSTAIR/NST

加藤 知子

小児期からの複雑なトラウマを持つ成人の病理はトラウマの問題のみではなく,標準的なPTSDの認知行動療法の技法では対応困難なことが多い.複数の領域の機能不全に対応するためには,トラウマに焦点を当てる前に感情や行動の統制や対人関係スキルの構築を行うなど段階的なアプローチが必要とされる.重症の複雑性PTSDの成人にスキルへの介入を入れた段階的な治療SATIR/NSTを行い高い効果が得られたため,具体的な治療経過を報告したい.

実母からの身体的および感情的虐待による複雑性PTSDに対するSTAIR/NST

須賀 楓介

幼少期,主に実母から受けた身体的および身体的虐待によって複雑性PTSDと診断された女性に対して米国のスーパーヴァイザーからセッション毎のスーパーヴィジョンのもと合計17セッションのSTAIR/NSTを行った.治療によってPTSD症状,再体験に続く解離症状,感情調整の困難,対人関係の問題は大きく改善した.治療経過を振り返り,STAIRとNSTそれぞれの役割,相互補完的な関係性について考察を深めたい.

性的虐待による複雑性PTSD患者に対するSTAIR/NST

丹羽まどか・加茂登志子・金  吉晴

本稿では,幼少期より性的虐待を受け,いじめ被害や家庭環境により症状が増悪した,複雑性PTSD女性に対してSTAIR/NSTを実施した症例を報告する.合計22回のセッションを行ったが,治療前後でPTSD症状,解離症状,感情調整困難,対人関係の問題には,いずれも顕著な改善が見られた.クライエントの機能水準の改善も大きく,STAIR/NSTは複雑性PTSDに対する治療の選択肢を広げるものと考えられる.

東京電力福島第一原子力発電所事故による新潟県への県外避難者の心理

藤田 浩之

東日本大震災による原発事故の影響で,福島県から隣接する新潟県に避難した人々が震災から2年後にどのような心理的影響を受けているかを明らかにすることを目的として質問紙調査を行った.第一研究では,本研究が対象とした新潟県の避難者は精神的なストレスが高く,経済的な生活苦,睡眠の悪化,放射線への不安が高かった.心理的負担感は女性が男性より高く,年代別では30代と60代で高かった(n=126).

新潟県長岡市と隣接する柏崎市の避難者(n=175)を対象とした第二研究では,同市の避難者を対象に質問紙調査を行った.その結果本研究で対象とした避難者のK6は,自分の病気,借金,生活費の不安がある人,原発事故放射能不安を抱える避難者で高かった.子どもが放射線の影響を受けていないかどうかを心配する親の不安についても議論を行った.本研究における避難者がストレスに対処するコーピングとしては,保健師やカウンセラーなど専門家に相談する等の「専門的コーピング」のほか飲酒・パチンコ等の「回避的コーピング」,よく眠るようにした等の「食欲睡眠コーピング」もとられていた.

熊本地震の特徴―被災者の避難行動から見えるもの―

山口喜久雄

2016年4月14日午後9時21分にM(マグニチュード)6.5の前震,4月16日午前1時23分にM7.3の本震という2つの大きな地震が熊本県で発生した.甚大な被害は熊本県の広域に及び,全半壊数37,959戸という大災害となり,約18万人の避難者が発生した.前震,そしてより強い本震という想定外の地震により,多くの住民は恐怖感にかられ,車中泊や避難所生活を選択した.熊本地震では死者数に比して,避難者数が極めて多いというところに特徴がある.また全国からDPATが派遣された初めての災害となった.DPATによる支援には課題もあったが,一定程度の機能は持たせることができた.災害時には災害規模に応じた適正な支援量の調整とともに,受援方法を平時から考えておくべきことが,熊本地震でも明らかになった.熊本地震においても,PTSDはみられ,とくに自治体職員におけるメンタル面のサポートが今後も重要である.

クライエントの自死が心理臨床家へ及ぼす影響と支援の視点

正木 啓子

本稿では,クライエントの自死に遭遇した心理臨床家の実態について検討している国内外の文献のレビューを行い,そこから得た知見をもとに,心理臨床家がポストベンションに関わる現状,クライエントの自死に遭遇した心理臨床家の割合,その際の心的反応や対処行動,心理臨床家に対する支援についてまとめた.結果,①この事象に関する国内文献は非常に少ないこと,②一定の割合で心理臨床家がクライエントの自死に遭遇していること,③心理臨床家は,個人としても,専門家としても影響を受け,その両方に対処しなければならないこと,④支援についても個人的支援と組織的な支援の両方が必要であることがわかった.今後,国内においても,心理臨床家がクライエントの自死を経験する割合や対処の状況という実態に関する調査が行われるとともに,求められる支援の指針についても検討される必要性があると考える.

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