第1巻第1号(2003年2月20日発行)抄録集

公開日 2003年02月20日

ようこそJSTSSへ

 日本トラウマティック・ストレス学会(JSTSS: Japanese Society for Traumatic Stress Studies)は,2002年3月2日,設立総会に参集された方々の総意をもって誕生しました.自然災害,人為災害,事故,犯罪被害,性暴力,家庭内での暴力等々のトラウマティック・ストレスとその心身への影響,治療やケアのあり方,ならびに関連のテーマを探求の中心とする.日本では唯一の専門学会です.設立からほぼ1年経ったところで,正規登録会員数は500名に達しました.
 JSTSS誕生のニュースは,米国やヨーロッパおよびオーストラリアなどのSocietyメンバーにも,驚きと喜びをもって受けとめられています.そしてアジアにおける,国際的なトラウマ・コミュニティの一員の誕生として,熱く歓迎されています.
 「私は,この学会が,さまざまな領域で活動されている方々の共通のモームグラウンドとなることを希望しています.参加する人が常にそれぞれの分野で躍動的に仕事を続けられるための活力源であり続ける,それが私の願いであり,すぐそこにあるJSTSSの未来です.JSTSSはあくまでも学会であり運動体や援助組織そのものではありません.会員のホームグラウンドとして,JSTSSに情報を持ち寄ってください.そしてJSTSSから必要な情報を引き出してください.」
 ウェブサイト(http://www.jstss.org)記事の中でこのように述べましたが,本学会の諸活動の眼目はこれに尽きています.情報とは,会員個々の研究上の知見や,実践方得られた経験と知恵にほかなりません.
 ようこそJSTSSへ.本学会がその使命を果たし,諸活動が発展を続けるために,会員各位の格別のご支援を心より願っています.

2003年2月
日本トラウマティック・ストレス学会
会長 飛鳥井 望

創刊を迎えて

 皆様のご協力によって,ここにトラウマティック・ストレスの創刊号が発刊されることになりました.編集委員会を代表して,心からお礼を申し上げます.この雑誌が,新しい学会の息吹を伝えられるような,生きいきとした交流の場となることを願っております.
 この何年もの間,トラウマについての学会をつくろうという話は何度も出ては消えていました.最後のきっかけとなったのは平成13年の厚生労働省研究班会議の席上でした.池田小学校,NYテロなどの事件が続き,研究班の組織を超えたもっと大きな集まりをつくり,互いに協力し合えるネットワークを拡大しなくてはならないという思いがあったからです.多くの参加者がその思いを共有していたらしく,その日のうちに,第1回大会の日取りが決まりました.
 このように実践的な目的をもって発足した学会ですから,雑誌の内容もそれにふさわしく,多くの方々の臨床に役立つ情報を載せていこうと考えています.学術的な調査研究だけではなく,いろいろな現場からの報告,情報を提供するつもりです.症例報告に座談会をつけることにしたのも,臨床重視のあらわれです.
 学会の雑誌は堅苦しいというイメージを持たれるかもしれません.もちろん,学術的な論文については厳正な審査をします.しかし,皆様の現場からの生の声についても,できるだけ会員,読者の皆様にお伝えするために努力をしていきたいと思っています.
 この学会の会員の職種は実に多様です.それに応じて,雑誌の内容も多岐にわたっています.どうか,ご自分の専門以外の記事にも目を通して下さい.というのも実際の臨床では,多種多様な職種の援助者が連携をすることが非常に多いからです.
 この雑誌が,ありふれた堅苦しいものになってしまうのか,毎号目を通したくなるような,活気にあふれたものになるのか,それはひとえに,会員読者の皆様にどのように育てて頂けるのかにかかっております.
 新しく世に出た「トラウマスティック・ストレス」を,どうかよろしくお願いいたします.

2003年2月
編集委員会を代表して 金 吉晴

特集にあたって

金 吉晴

 この特集ではトラウマからの回復を取り上げている.これまでのトラウマ論の多くは,被害とはなにか,そこからどのような症状が出てくるのか,ということに重点を置いてきた.もちろんそうした知識は,本人や周囲の人々の心理教育のために必要である.また,そうした知識を共有することによって本人の体験を理解し,その周囲に治療的な共同体を作り上げていくことには,トラウマへの援助にとっての第一歩と言える.しかし,実際の臨床を始めて見ると,そこにどのような被害や症状があるのかということよりは,そこからどのように本人が回復するのか,そのたのめにはどのようなことが出来るのかということの方が,より大きな意味を持つのである,そもそもこの学会が発足した大きな理由も,学術研究を盛んにするだけではなく,多くの援助者の治療的なネットワークを作っていきたいということであった.その意味で,創刊号の特集としてトラウマからの回復を取り上げたことは,学会の向かう方向を強く表している.残念ながら準備があわただしく,現行の本数は多くはないが,いずれも第一人者の手による貴重な考察であることを自負している.
 ところで,この特集ではPTSDからの回復と言わないで,トラウマからの回復と言っている.中身を見るとPTSDからの回復も扱われているが,それでもあえてこのような表題にしたのには理由がある.よく誤解されるのだが,PTSDはトラウマに対する一つの反応ではあっても,トラウマそのものではない.トラウマからは,PTSD以外にもさまざまな疾患や症状,心理的,社会的な変化が生じる.そうした変化のすべてをPTSDが代表しているわけではない.たとえば罪責感は,被害者の多くが抱く感情で,治療の上でも大きな意味を持つ現象である.これは最初のPTSDの診断基準には含まれていたが,のちに削除されてしまった.それだけ,PTSDという概念がカバーしている現象の領域は狭くなったのである.そもそもPTSDとはというのは1980年代に初めて作られた診断基準であるので,まだ粗削りなところがあり,今後も変化する可能性がある.したがって,PTSDという診断にこだわるよりも,トラウマそのものについて,そこからどのような変化が生じ,回復に向かうのかを考える方が効果的であると思われる.
 ところで.トラウマと言う時には,一つ注意が必要である.周知のようにPTSDで定義をされている「出来事」というのは,戦争や重度の事故のように,実際の生死にかかわるような危機的な状況に限られている.これは外傷神経症という古典的な考え方に沿ったものであるが,私たちがトラウマと言う時には普通はもう少し広い意味にとっていて,たとえ見かけ上は軽い出来事であっても,本人に強い衝撃を与えたものであれば,トラウマと言うことが多いようである.どちらの考え方がより厳密であるのか,あるいは狭すぎるのかは,どのような立場でものを考えるのかによっても違うはずである.臨床的には拡大することは許されるであろうし,裁判などの場面では,厳密に使わなくてはならない.しかし歴史を振り返ると,トラウマの概念は拡大することで結局,社会からの関心を失ってしまうということを繰り返してきた.拡大して考える場合には,このような事情も念頭に置いておく必要があるといえる.
 トラウマによって援者を求める方を目にした場合,現代ではPTSD診断を確認し,PTSDの治療を通じてその援助を行うことが多い.しかし,トラウマからの回復とPTSDの治療は,時に矛盾する.たとえば被害者が自分の体験を整理し,納得するために,その体験を人に語ったり現場を確認したりすると,一時的に症状は悪化してしまう.この場合には,たとえPTSD症状を悪化させてでも,何らかの行為によって意味を確認したいという強い希望があるということになる.どちらを優先すべきかは,臨床的になかなか難しい問題である.他方で強制収容所からの生還者の中には,数十年を経て,収容所を再び訪れ,そこで初めて自分の意味がつながったと報告されている方もいる.PTSDというのは,トラウマ体験に対する生理学的な反応を中心に取り出したものだが,このように長い時間経過をたどる回復過程を考えると,やはりその守備範囲は割合に狭いものだと言わざるを得ない.
 しかし多くの被害者が,PTSDに代表されるような生理学的レベルでの症状によって苦しんでいることは事実である.それを治療,援助することを抜きにしては,トラウマ臨床を語ることはできない.より望ましいことは,症状という「余計なもの」をなくすという視点ではなくて,オーストラリアのMcFarlaneが述べたように,トラウマからの回復過程をきちんと図式化して,そこから逆に見て,回復のために今何が必要かを考えるという視点に立つことだと思われる.
 受傷と発症のプロセスは,多くのトラウマ被害に共通であり,定式化をしやすい.これに対して回復のプロセスは,個別の事情が強く関与するために,なかなかすっきりとしたモデルを作ることができない.発症に関してつくられたモデルがPTSDやASDであるとすると,回復に関して言われているのは回復力resilienceという概念である.しかしこれはまだ漠然としていて,どうやらそうした力があるらしいという以上のことはなかなか明確にならない.ということは,回復のプロセスに関しては,私たち自身の経験から事例を通して学ぶしかないということなのであろう.そのような学びの場として,この学会が,また雑誌が役立つことを期待して,このような特集が考えられた.もちろん,ただ一回の特集によってこのテーマが完結するわけではない.続編は,是非,会員の皆様の手によって書き継いでいただきたいと思う.


トラウマのケア -治療者、支援者の二次的外傷性ストレスの視点から-

小西聖子(武蔵野女子大学人間関係学部)

生物化学兵器を用いたテロリズムは、多数の人々に著しい恐怖をもたらす。生物化学兵器は強力な殺傷能力を持ち、特に生物兵器は、無臭で潜伏期がある上に、他者に感染しうる。そのため、たとえ実際に兵器が使用されなくとも、「使われたかも」という恐怖だけで心理的・行動的反応を引き起こしうる。過去の事例では、曝露されていない人々までが反応して医療機関に殺到し、本来の負傷者以外に「心の」負傷者が大量発生したことが報告されている。 よって、生物・化学テロリズム発生時には、大衆に向けて正確・迅速な情報を伝えることが求められる。適切なリスク伝達は各自の不安緩和に有用であり、混乱や流言など、集団レベルでの心理反応をも予防しうる。 このため、精神保健専門家には、テロ発生時の負傷者の選別、地域における事前教育・研修を通じた行政機関・他領域の専門家との連携など、従来の役割を越えた公衆衛生的見地からの役割が求められる.


 心的外傷を抱えた患者から学ぶこと

田中究(神戸大学大学院医学系研究科精神神経科学分野)

心的外傷を受傷した年齢、その期間や重篤度などによって、患者の社会的職業的機能、対人関係機能、回復像を持てるかどうかなどが異なり、これらに応じて治療法の選択が重要となる。この障害の範囲が狭い患者では心的外傷記憶の認知再構築法は非常に有効であるが、障害が広範囲に及ぶ複雑性PTSD・他に特定されない極度のストレス障害(DESNOS :disorders of extreme stress not otherwise specified)の患者では現在を中心とした力動的精神療法が安全である。震災によるPTSD、小学校時代の性被害による恐怖症、児童虐待によるDESNOSの3症例を教示例として、外傷性精神障害患者の治療について報告し、患者はHermanの述べた回復過程をさまざまな形でたどるが、特に患者が持つ内的資源および外的資源、あるいはこれらへの気づきが患者を回復へと向かわせることを述べた。また、患者-治療者関係はDESNOSの患者において、相互に精神病水準にまで退行することがあるが、患者の持つ向日性によって治療が導かれていくことを示した.


心的外傷患者に対する入院治療の有用性:複雑性PTSD症例の治療経験から

丸岡隆之・前田正治・山本寛子(久留米大学医学部精神神経科)

本論では、久留米大学病院精神科急性期治療病棟において、主に入院集団療法的アプローチが、PTSD患者の治療に貢献するであろうことを、症例を提示し報告した。症例は、幼少時期に父親からの身体的虐待を受けた33歳男性である。当初患者は、入院という集団状況の中で退行し、患者自身の心的内界をほかの患者やスタッフに投影し、怒りや恐怖感を表出させたが、自分でも何故そのような心情に至るのか理解できなかった。精神力動的なあるいは認知行動療法的ないくつかのグループセッションが導入され、その中で患者は、自身の感情を理解できるようになり、障害の受容や、いまわしい過去を克服し「喪の作業」の過程を機能させることに成功した。入院環境が安全な場所として機能されており、患者の再演された経験に対して有効な関わりを提供し得たならば、PTSD患者の入院治療は効果的で意義深いものになるであろうことを明示した.


交通事故の精神的後遺症

藤田悟郎(科学警察研究所)

交通事故の加害者60人、重傷を負った被害者493人、遺族418人の精神的後遺症を質問紙調査により調べた。加害者、重傷被害者、遺族のいずれにも、再体験や回避などのPTSDに特有の症状が見られた。GHQ20のカットオフポイント以上の被験者は、遺族の76%、重傷被害者の60%、死亡事故加害者の48%であった。加害者は、事故前後における生活環境の変化が少ないために、精神的後遺症の回復が早いと考えられた。重症被害者は、経済的困窮や身体的後遺症などの問題が事故後に存在すると、精神的後遺症が残りやすかった。死別後もトラウマを体験し続ける遺族の場合、精神的後遺症の回復が遅かった。また、悲嘆、精神健康、PTSDの間の相関が高かった。交通事故の体験者には、PTSDに特有な症状が見られるものの、ライフイベント発生時の恐怖や無力感により精神的後遺症が生じるというPTSDの基本モデルだけでは、交通事故の精神的後遺症をうまく説明できないと考えられる.


CAPS(PTSD臨床診断面接尺度)日本語版の尺度特性

飛鳥井望(東京都精神医学総合研究所ストレス障害研究部門)
廣幡小百合(国立精神神経センター精神保健研究所)
加藤寛(兵庫県ヒューマンケア研究機構・こころのケア研究所)
小西聖子(武蔵野女子大学人間関係学部)

【目的】
PTSD構造化面接尺度として各国で使用されているClinician-Administered PTSD Scale for DSM-IV(CAPS) の日本語版の尺度特性、ことに信頼性と妥当性を検証した。

【方法】
一般工場従業員21名(調査1)、心理臨床センターのクライエント14名(調査2)、阪神淡路大震災被害者13名(調査3)を対象として、それぞれ2名の評価者が同席面接し、独立してCAPS面接評価を行った。調査1では別にSCID臨床診断を行った。

【結果】
評価者間のPTSD診断の一致は、κ=.86-.93であり、十分な信頼性が確かめられた。また精神科医SCID診断との一致は、κ=.82および.87であり、十分な妥当性が確かめられた。現在診断における重症度指標となる総得点の相関係数は.99と高く、優れた信頼性が示された。またB、C、D各症状項目には十分な内部一貫性が確かめられた。

【結論】
CAPS日本語版は、専門職が一定のトレーニングを受けた上で使用すれば、高い評価者間信頼性と臨床診断としての妥当性が得られる尺度である。


地下鉄サリン事件被害者の後遺症、とくに心的外傷後ストレス障害に関する研究
-対照群との比較検討-

石松伸一(聖路加国際病院 救急部)
松井征男(同 副院長)
川名典子(同 リエゾン精神看護師)
玉木真一(同 予防医療センターマネージャー)
菅田勝也(東京大学大学院看護管理学助教授)

地下鉄サリン事件被害者の後遺症、特に心的外傷後ストレス障害の実態を把握するために被害者群と対照群の2群に対してアンケート調査を行った。その結果「だるい」という訴えは20歳代、40歳代、60歳代で、「疲れやすい」は20歳代と40歳代で対照群に多かった。一方、「息が苦しい」と「突然心臓がどきどきする」という症状は60歳代で被害者群に多かった。目の症状では「近くが見えにくい」は30歳代で、「目の焦点を合わせにくい」は20歳代で対照群に多く、「目の異物感」は40歳代で被害者群に多かった。精神症状ではフラッシュバックの症状が全年代で被害者群に多く、また「現場に近づくことに恐怖がある」は30歳代、50歳代で、「落ち着かない、いらいらする」は40歳代で被害者群に多かったが、「興味がなく、無感動」という症状は60歳代で対照群に多かった。

心的外傷後ストレス障害(PTSD)のスクリーニングに関しては3つの診断基準(DSM-IV、Partial, Masked)とも被害者、非被害者間で差を認めたが特徴的な身体化症状は明確にならなかった。今後は対象者の背景、年齢、性別も加味したスクリーニング方法を検討する必要性がある。


性暴力被害者への早期介入 -ある民間被害者支援団体の相談事例の分析から-

中島聡美(常磐大学コミュニティ振興学部)
正木智子(被害者支援都民センター)

T民間被害者支援センターに面接相談に訪れた性暴力の被害者36事例を対象にその特徴について分析を行った。被害者はすべて女性であり、強姦及び強姦未遂が69.4%であった。被害から相談に訪れるまでの期間が1カ月以内の早期受診の事例は11例(30.6%)であった。このような被害から間もない時期に相談に訪れる事例に対して、早期介入を行うことは侵入症状や過覚醒の症状を軽減し、その後の感情や認知の障害を防止する上で重要である。


シェルター退所後に外傷後ストレス障害が顕在化したDV被害女性の1例

大塚佳子・氏家由里・加茂登志子(東京女子医科大学神経精神科)
症例検討会:
大塚佳子・加茂登志子(東京女子医科大学神経精神科)
大山みち子(武蔵野女子大学人間関係学部)
白川美也子(国立療養所天竜病院)

シェルター退所後に外傷後ストレス障害(PTSD)症状が顕在化したドメスティックバイオレンス(DV)被害女性(27歳)一例について報告した。症例は夫から3年間の身体的、精神的虐待を受けた後、シェルターに一時保護されていたが、保護中、IES-Rの高得点以外には、特に精神科的問題を認めなかった。しかし、退所後離婚手続きを機にPTSD症状が顕在化した。侵入症状、過覚醒症状以外に、弁護士や医師との約束を回避する症状も認めたが、これは人格問題と区別し難く注意が必要である。平成13年10月に施行されたDV防止法はまだ十分浸透してはいない。PTSDや心身健康状態の経過を評価するのにIES-RやGHQ-28といったスケールを用いたが、後者の方が症例の臨床的精神状態をより正確に反映していた。わが国でもDV被害者のサポートシステムはまだ不十分であり、精神科医療を含む多くの分野での理解がさらに必要である。

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