第2巻第2号(2004年10月20日発行)抄録集

公開日 2004年10月20日

巻頭言

 衆目を集める衝撃的な事態が起きると,必ずといっていいほど「こころのケア」の必要性が喧伝されるのが,近年の傾向である.この「こころのケア」という言葉は,阪神・淡路大震災以降に頻繁に使われるようになったが,初出は震災以前の1992年で,末期癌や神経難病などの患者に対する,医学的治療以外のサポートを示す言葉として使われていた.そして,阪神・淡路大震災以降はもっぱら「トラウマを受けた人々への心理的支援」という意味に,特化して使われている.
 実際,多くの災害や大事故,大事件では,地域内の資源が活用されて,比較的早い時期から,支援を提供するシステムが動き始めるようになった.たとえば,この数年間に発生した主な自然災害では,精神保健福祉センターや保健所を中心として,被災地を対象とした支援活動が行われている.また,児童虐待やドメスティックバイオレンスに関連する公的システム,あるいは犯罪被害者支援に関する民間組織なども,徐々にではあるが補強されている.
 今後の課題は,それぞれの活動の質を向上させ,その内容を評価することであろう.そのためには,専門職のスキルの向上,情報を効率的に提供するためんおシステム整備,および専門職間のネットワーク拡充などが必要になる.同時に,援助者が受ける心理的影響の大きさにも注目することも重要である.なぜなら,被害体験に間接的に暴露されることで,専門職といえども大きな心理的影響を受け,これに適切な対応がなされなければ,業務遂行上の問題だけでなく心身の健康への影響が生じる可能性があるからである.
 この4月に神戸市に開設された兵庫県こころのケアセンターのひとつの役割は,トラウマを受けた被害者の支援に携わる専門職の,セーフティネットの拠点となることである.今後,さまざまな職種を対象とした研修を企画するだけでなく,情報を集積し広く公開するためのシステムを整備したいと思っている.研究面では,トラウマティック・ストレスがもたらす心理的影響に関しての臨床研究が行われる.当面は,惨事ストレス,外傷性悲嘆,虐待の連鎖などの研究に取り組む予定である.そして,この分野の臨床研究では,研究対象となる被害者への支援を直接提供することが必要となるので,外来診療を行う体制が整備されているのも,本センターの特徴の一つである.
 走り始めたばかりで未知数な部分は多いが,開かれた研究機関として,その存在意義が認められるような活動を行いたいと思っている.会員諸氏の,ご支援をお願いするところである.

2004年7月
兵庫県こころのケアセンター
研究部長 加藤 寛

会長挨拶

 日本トラウマティック・ストレス学会が発足して早くも3年目となりました.初代会長の飛鳥井望先生以下,理事,会員各位のご尽力により,会員数も順調に伸びて1,000名を超えていますが,発足間もない学会としては異例のことといえます.総会の参加者数も常に数百名を数え,しかもその参加者のほとんどが,2日間の会期の間,熱心に講演会,シンポジウム,ポスターセッションに参加しており,そのために学会場にはほとんど空きがありません.これほど熱心な参加者が総会に集まることも異例といえます.それだけにこの学会に寄せられた会員の期待の大きさを感じます.
 私たちが身近な臨床や社会活動の場面で,心的トラウマを訴える方に遭遇する機会はますます増加しています.その背景には,社会的関心の高まりによって被害者の意識が高まったことと,その被害者に直接接する援助者や専門家の間で,心的トラウマに関する知識が急遽に広まってきたことがあります.いわゆる被害の発見,同定については着実な流れができあがってきたと思われます.
 しかしその反面,心的トラウマをどのように診断,評価したらよいのか,そして適切な治療,対応をしたらよいのか,ということについては,まだ十分に理解が行き渡っているとは言えません.とにかくPTSDという言葉だけが一人歩きしがちですが,前回の学会誌でも特集が組まれたように,広い意味でのトラウマによる反応にPTSDという診断を付けてしまうことは,かえって混乱を生じてしまいます.よく見られることは,喪失悲嘆反応や,以前の好訴神経症にPTSDという病名を付けてしまうことでしょう.
 また治療法については,一部の薬物療法や認知行動療法の有効性が認められています.しかし,被害直後の急性期に何をしたらよいのか,また虐待などの長期的な被害者にどう関わったらよいのか,ということにはまだ不明な点が多く残っています.さらに大切ことは,治療や援助の目標を何処に置くのか,ということです.これは治療者,援助者の代理受傷,逆転移などとも関わることですが,海外などからの事例の報告はうまく行ったことばかりに偏りがちで,途中での苦労や,不完全例などの実績は遅れがちです.
 今後の学会の活動を着実なものにするためにも,こうした課題についての指針を出し,理解と苦労を共有していきたいと考えております.皆様の一層のご協力をお願い申し上げます.

2004年8月
国立精神・神経センター精神保健研究所
金 吉晴

トラウマティック・ストレス
年2回の発行について

 JSTSSも3年目を迎え,金吉晴新会長のもと,新たな発展を目指しています.「トラウマティック・ストレス」の編集委員会長も4月よりバトンタッチしました.金吉晴前委員長がつくられた魅力ある学術誌を守りつつ,学会員のみなさま方のさまざまなお力を借りて継続発展させていきたいと思います.どうぞよろしくお願い致します.
 これまでJSTSSでは毎年3月の学会にあわせて,年1回の学会誌「トラウマティック・ストレス」を発行してまいりましたが,今年からは,年2回の発行とし,秋にも「トラウマティック・ストレス」を発行することになりました.トラウマを研究する多くの方々,様々な工夫を重ねながらその臨床を行っている方々により多くの情報をお届けし,共有することで,トラウマティック・ストレス研究の更なる発展に寄与できれば幸いです.
 トラウマ研究の対象とする領域は広く,自然災害から家庭の中の虐待まで,またその研究方法も,生物学的な方法から社会学的方法,時には法学的・政策学的アプローチまで多岐にわたります.どのような研究領域も対象選択や方法もそのものにも意識的である必要がありますが,特にこのような領域ではそれは必須のことであると言えるでしょう.
 私がどこに立っているのか,それはどのような意味を持っているのか.何がどのようにわかっていて何がどのようにわかっていないのか.誤解や曲解も多い「トラウマ」という言葉を適切に使っていくには,このような問い直しが常に必要とされるということでもありましょう.
 本号では,日本トラウマティック・ストレス学会設立総会におけるPTSDに関するシンポジウムの基調講演,招待講演を掲載しました.2002年ISTSS会長のグリーン教授,デューク大学デービットソン教授の講演を翻訳してあります.それぞれトラウマ各分野においての「自分の座標」を明らかにするためにきわめて有用なものです.さらに最近のPTSDに関するトピックや臨床における問題も扱っています.春の特集とはまた異なる多様なトラウマへの視点を紹介したいと考えています.

2004年8月
編集委員長
小西聖子

<総説>

生物・化学テロリズムが与える心理的影響

重村淳 (Jun Shigemura) 1), 2),
Molly J. Hall 1)
Derrick A. Hamaoka 1)
Robert J. Ursano 1)
1) Department of Psychiatry Uniformed Services University of the Health Sciences
2) 防衛医科大学校 精神科学講座

生物化学兵器を用いたテロリズムは、多数の人々に著しい恐怖をもたらす。生物化学兵器は強力な殺傷能力を持ち、特に生物兵器は、無臭で潜伏期がある上に、他者に感染しうる。そのため、たとえ実際に兵器が使用されなくとも、「使われたかも」という恐怖だけで心理的・行動的反応を引き起こしうる。過去の事例では、曝露されていない人々までが反応して医療機関に殺到し、本来の負傷者以外に「心の」負傷者が大量発生したことが報告されている。 よって、生物・化学テロリズム発生時には、大衆に向けて正確・迅速な情報を伝えることが求められる。適切なリスク伝達は各自の不安緩和に有用であり、混乱や流言など、集団レベルでの心理反応をも予防しうる。 このため、精神保健専門家には、テロ発生時の負傷者の選別、地域における事前教育・研修を通じた行政機関・他領域の専門家との連携など、従来の役割を越えた公衆衛生的見地からの役割が求められる.


 拷問とトラウマ

宮地尚子 Naoko T. MIYAJI, M.D., Ph.D.
一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻

本稿では、拷問の定義、拷問のトラウマについて考えることの社会的意義、拷問の実態、具体的内容とその影響、とくに精神的拷問の特徴について概説を述べるとともに、筆者が訪問した米国の支援施設の取り組みを紹介する。

拷問は意図的に人間の精神を破壊するよう工夫されたものであり、被害者の主体性や思考、判断が弄ばれつつ、
(1)自己像の破壊、
(2)他者や世界への基本的信頼感の破壊、
(3)加害者の内在化が、反復・強化されるものと考えられる。

被害者の回復支援には、狭義のトラウマ治療に留まらず、現時点でのストレスへの対処や家族・コミュニティへのアプローチなど、「多元的エンパワメント」が重要である.


<研究報告>

市町村保健師の二次的外傷性ストレスの観点からみたメンタルヘルス

山下由紀子 (聖マリアンナ医学研究所カウンセリング部)
伊藤美花 (武蔵野大学心理臨床センター)
嶋﨑淳子 (野の花メンタルクリニック)
笹川真紀子 (武蔵野大学心理臨床センター)
小西聖子 (武蔵野大学人間関係学部)

本研究では、東京都多摩地区24市町村に所属する保健師を対象として、職務上の傷つきの体験が及ぼすメンタルへルスへの影響を検討した。保健師255名に自記式質問紙を配布し、回答者数は113名であった。約8割の保健師が個人的もしくは職務上で、トラウマとなりうる、何らかの傷つく体験をしており、虐待などの外傷的出来事にも多くの保健師が関わっているという知見を得た。保健師のGHQ-12の平均得点は1.95点±2.84で、現在の精神的健康のハイリスク群は21.8%(24人)であり、全体的な精神健康度は良好に保たれていた。IES-R平均得点は、11.41点±16.14で、IES-R高得点群は全回答者の11.5%(13名)であり、最も強いストレスになった出来事として、約4割が「職務上の傷つき体験」を選択していた。「個人的体験」群と「職務上の傷つき体験」群のIES-R平均得点には有意な差があり、「個人的体験」のIES-R得点の方が高かった。「個人的体験」のIES-R得点の軽減に、研修やトレーニングが影響を及ぼすことが示された.


<資料>

厚生労働省版「災害時地域精神保健医療ガイドライン」について

金 吉晴 (国立精神・神経センター精神保健研究所)

平成13年度に災害時地域精神保健医療ガイドラインが作成され、厚生労働省より各自治体に配布された。災害後の精神的な反応はPTSDモデルだけでは説明できない。自然回復はストレス反応や適応障害だけではなく、PTSDなどの疾病にもみられる。多数の被災者を対象にした介入としては、自然回復の促進が必要であり、正常範囲のストレス反応や被害意識をPTSDなどの疾病と混同し、不安を増大させてはならない。症状が慢性化する者について積極的な教育支援が必要である。災害直後には見守り対象者のチェックや心理教育などの心理的応急処置が望ましい。災害弱者、多文化対応、報道機関との連携、援助者の精神健康維持なども課題となる.

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