【自然災害】『新潟県中越地震1年後の報告』

公開日 2005年10月28日

1.はじめに

新潟県中越地方を震度7級の大地震が襲ってから、早くも1年が経過しました。この1年間に全国の皆様からいただいた多大な御支援につきまして、まずは御礼申し上げます。 被災地は着々と復興を遂げていますが、いまだに元の居住地に戻れない等、各種の生活困難を抱えた住民は数多く、心のケアの問題は現在も進行中です。そこで今後に向けて、これまで新潟県で行われてきた心のケア活動を振り返り、今後を展望していきます。

2.地震発生直後から2ヶ月後まで

中越地震に際して新潟県では、県が招集した「こころのケア対策会議」の下で数々の対策を実施してきました。同会議は新潟県内の精神保健福祉関係団体・機関と被災市町村によって構成されています。同会議が行ってきた対策は大きく以下の4つに分けることができます。

「こころのケアチーム」の派遣調整
専用相談電話の設置
精神科入院医療の確保
啓発普及活動
「こころのケアチーム」とは県内外から派遣された精神科医療チームのことです。主たる活動期間は2004年10月26日から同年末までで、最大で一時に23チーム、平均で13チームが活動し、6000件以上の診療・相談が行われました。これらのチームは、救護所における診療活動も行いましたが、活動の重点はむしろ訪問診療等のアウトリーチ活動に置かれていました。中には、被災住民に対するミニ講話や相談会の実施、保健師・保育士に対するコンサルテーションにまで幅広く活動を展開したチームもありました。全体に言えることは、既存の地域保健スタッフ(市町村保健師、保健所相談員、医療機関ワーカー等)との密接な連携の元で活動が行われたことです。

「こころのケアチーム」の活動記録からは、不眠、不安などのストレス反応の他に、感冒症状や高血圧といった身体的問題にまで対応していたことがわかりました。精神医療に対する抵抗感を減らすためにも、身体的な問題を媒介とした活動が行われていたためと思われます。

専用相談電話の内容をみると、「地震への不安・恐怖」と並んで「子どもへの対応」に関する相談が多く、この震災が子どもの心に与えた影響の大きさを見て取ることができます。

精神科入院医療の確保は、大きく二つの対策に分けることができます。一つは、病棟が倒壊の危険にみまわれた中条第二病院の入院患者の搬送・受入です。もう一つは、被災地区で入院医療が必要となった場合の救急体制です。これらについては、新潟県立精神医療センターと新潟県精神科病院協会所属病院の連携によって迅速な対応が行われました。

啓発普及活動としては、各「こころのケアチーム」や被災地周辺の医療機関の協力によって数多くの講演会、ミニ講話を開くことができました。

3.3ヶ月後から1年後まで

日本児童青年精神医学会による「こころのケアチーム子ども班」と新潟県立精神科医療チームは、年が明けた後も断続的に活動を継続していましたが、ほとんどのチームは2004年内に活動を終了しました。

それ以降は、市町村単位を基本として、地元精神科医療機関との連携による心のケア活動が行われています。例えば、市町村が行う心の健康調査から抽出されたハイリスク者に対する訪問活動や、心の健康に関する相談会の開催等です。被災後1年の時点における心の健康調査を実施する予定の市町村もあります。また、過労による職場での心の健康不全も問題になっており、メンタルヘルス講演会を開催する企業や自治体も目立っています。

被災一年を迎えるにあたって以上のように様々な活動が展開されていますが、最大の懸念は、心の健康問題に苦しんでいる人の支援にあたるべき市町村・医療・相談機関職員の疲労が限界に達しつつあることです。

4.こころのケアセンターの設置

2005年8月1日、中越大震災復興基金による「こころのケアセンター」が、新潟市、長岡市、小千谷市の3ヶ所に開設されました。相談、広報、調査研究活動などにより、被災者の心の健康の維持・増進を図ることを目的としています。今のところ、職員数10名に満たない小さな組織であり、職員の研修も行いながらの活動であるため、事業内容も限定されています。具体的には市町村が行う講演会、相談会、訪問相談等に対する支援がその中心ですが、今後は徐々に活動内容も充実し、自主的な事業が増えていくものと思われます。

5.今後に向けて

被災状況や生活の回復状況等によって、同じ被災者の中でも心の健康状態には大きな差が生じてきています。生活不安が長引くことによって、じわじわと心の健康が悪化していくことも予想されます。今後は、復興の中で忘れられがちになる一人一人の心の苦しみを見逃さないという視点が大切と思われます。

(新潟県精神保健福祉センター 福島 昇)

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