第5巻第1号(2007年7月28日発行)抄録集

公開日 2007年07月01日

巻頭言

 犯罪被害者等基本法が,可決成立してちょうど1年が経つ.1981年(昭和56年)の「犯罪被害者等給付金支給法」,いわゆる犯給法施行以来,本法の成立は関係者にとってみれば長年の悲願の成就であり,被害者の置かれた深刻な状況をみると,まことに画期的なことであるといわねばならない.そしてこの基本法には被害者本人や家族の人権を守るための多くの理念が盛り込まれているが,その第14条をみると次のように記載されている.「国及び地方公共団体は,犯罪被害者等が心理的外傷その他犯罪等により心身の受けた影響から回復できるようにするため,その心身の状況等に応じた適切な保健医療サービスおよび福祉サービスが提供されるよう必要な施策を講ずるものとする」
 被害者の支援と医療福祉的サービスが切っても切り離せないものであることは,本学会員であれば疑う人はまずいないであろう.しかしながら「適切な」医療福祉サービスを日々行っているという自信を持って言える会員は,非常に少ないのではなかろうか.多忙な日々の診療行為の中で,捜査当局や司法関係者との連携,あるいは意見書や鑑定書作成といった非常に手間がかかる被害者の治療を行う時間をどのようにやりくりするか,四苦八苦しているというのが現状ではなかろうか.2006年の本学会において報告したが,筆者らのグループで行った全国の精神医療専門家に対する調査でも,例えば認知行動療法の実施はほとんどなかった.これは認知行動療法に対する評価や関心が低いというわけではなく,それを行う時間やマンパワーがなかなか確保できないという現実的な制約を示しているものと考えられる.
 もちろん問題は時間的な制約ばかりではない.様々な法的問題を抱えた被害者と診療現場で相対するのは相当な心理的ストレスを伴う.PTSD診療が専門職の間でもしばしば敬遠される理由を考えたとき,その診断概念の妥当性云々の前にこうした多くの現実的困難の存在を考えなければならない.すなわちPTSD診断が臨床上有用であるためには,有用たらしめる治療構造がそれなりに担保されていないといけないのである.同様の困難は例えば児童精神医学領域でもしばしば指摘されることであるが,この被害者治療の場においても困難は格別である.本学会としても,これから被害者医療のあり方に関して様々な提言やアピールをしていく必要があるだろうし,基本法の成立はそのまとなない機会であると思う.

2007年2月
久留米大学医学部精神神経科学教室
前田 正治

【特集トラウマと解離】

特集にあたって

金 吉晴

 PTSDという概念を最初に知ったとき,まず感じた疑問点は精神分析の議論がほとんど引用されないのはなぜだろうかということであった.精神分析の創始者であるフロイト(Freud,S)は,後期には心的外傷の起源を無意識の欲望に求めたが,ヒステリー研究の頃は現実の外傷体験によって生じたと考えていたのである.その当時のフロイトの努力の多くが原因となる外傷の発見に向けられていたのに対して,PTSDの場合は一部の場合を除いてその体験はもはや明らかであるという違いはあるが,病像形成のメカニズムは似ているところも大きい.もちろんPTSDが登場した時代の背景を考えると,精神分析の議論が登場しにくかった事情は推測できる.PTSDという診断基準を最初に採択した1980年のDSM-Ⅲは,その当時まで米国の精神医学に強い影響力を持っていた力動的精神医学の影響を排除し,神経症や心因反応といった概念を放棄し,古典的な症状記述に立ち返って作られたものだったからである.しかし診断基準の約束事だけではなく,PTSDについての議論や解説を読んでいても,精神分析の引用を見いだすことは少なかった.
 やがて分権を読んでいるうちに気がついたことは,PTSDの概念は精神分析の抑圧論ではなくジャネ(Janet,P.)の解離論に近いということである.Van der KolkらはまさしくジャネとPTSD論を結びつける論考を1989年に“American Journal of Psyhciatry”に発表していた,哲学者であったジャネと神経学者であったフロイトは,ともにシャルコー(Charcot,J.M.)のもとで学び,そのヒステリー研究から多くを学んだという共通点を持つ.そしてほぼ同じ臨床現象を目の前にして,それぞれ解離論と抑圧論を発展させたのである.それではこの両方の違いは何だろうか.
 ジャネが解離論を本格的に論じたのは『L´automatisme psychologique』という大部の書物の中である.解離(dissociation)という概念はヨーロッパ精神医学の伝統的な鍵概念であり,ヒステリーだけではなく,今日の統合失調症に相当する病態について,様々な研究者によって用いられてきた.後年スイスのブロイラー(Bleuler,E.)が統合失調症の言語となったSchizophrenienという用語を提唱したが,これも言語連想と精神の統一がschizo-(分離,分裂)したことを特徴としたphrenia(精神病)という意味である.ジャネはこの概念をヒステリーの現象に応用し,精神の統合的な機能が減弱した結果,人格の統一が失われ,精神活動の一部が意識の外に出るのだと考えた.つまり精神の一部が切り離される(dissociation)ということである.彼自身が用いた用語はdésagrégation mentaleであり,凝集するという意味のagregationの否定形に,精神を表す形容詞が付いている.彼の考えの力点は,人格を統合する機能に置かれており,それが減弱するということであって,自然な結果として解離が生じるのである.解離の対象となった精神機能も,知覚,記憶,思考,体験,人格の一部であって,もともとの人格との関連は比較的容易に見て取ることができる.また解離というのは心理的メカニズムを指すと同時に,健忘,遁走,解離性同一障害(多重人格),解人症,また古典的な呼び名に従えば転換ヒステリーなどの現象も指している.上述したように,DSM-Ⅲ以降の米国の精神医学分類では,ジャネの唱えたような心理的仮説は排除されているが,これらの現象の存在は認められており,転換ヒステリー(身体表現性障害にはほぼ吸収された)以外は解離性障害としてひとつの見出しの中にまとめられている.
 これに対してフロイトの提唱した抑圧という理論は,何らかの観念や記憶を意識から排除して無意識の中へ押し込めようとする,それ自体が無意識的な心の働きを指す.抑圧の対象となったのは,当初は現実の外傷体験の記憶などが想定されていたが,次第に,自分自身の欲望であると考えられるようになった.解離理論とは対照的に,抑圧理論では,強調されているのは抑圧する作用の方であり,この作用はある種の精神内容を知識から閉め出したり,意識化されにくいように変容させたり,象徴的に置き換えるなどの作業を行う.だから,何かの症状が意識から切り離された観念や記憶であると仮定しても,それらの観念や記憶は元々の形を失っている場合が多く,その過程の正しさを示すためには解釈が必要となる.したがって,抑圧の結果として生じる精神現象も,記憶がある,ないといった単純な構造の症状だけでなく,強迫神経症,不安神経症などの複雑な病態が想定されている.精神分析の理論が発展するにつれて,うつ病や統合失調症なども,無意識的な態勢(position)から生じるという議論もなされるようになってきた.これらからおわかりのように抑圧というのは心理的規制を指しているのであり,具体的に現れる症状について抑圧性障害などという名称があるわけではない.この点,解離がまずは具体的な症状を指しており,ジャネらの理論が支持されなくなっても症状,診断分類として生き残っているのとは対照的である.
 さて,PTSDに戻ろう.PTSDを生じるような苦痛な体験はしばしば解離を生じる.体験直後の周トラウマ期解離(peritraumatic dissociation)はこの特集でも取り上げられているように重要な現象である.急性ストレス障害は解離優位の概念であり,またそもそもPTSDの回避麻痺症状は解離症状と重なるところが大きい.しかしPTSDと解離の関係にはパラドクスもある.解離に伴う記憶障害は通常は健忘であるが,PTSDの中心症状は外傷性記憶であり,外傷体験に関する情動記憶の亢進である.また過覚醒症状は交感神経優位の状態であるが,これは解離によっても不安緊張が軽減されていないということなのか.あるいは,PTSDは解離から見た場合は不全型であって,体験直後に解離性健忘や解離性同一性障害を綺麗に生じた場合にはPTSDにならないのかもしれない.実際にこうした患者が一見すると事件のことを忘れて何年間も社会的に適応した生活を送った後で,出来事を想起させるような強い刺激に接したために不安が喚起され,PTSDを発症した(あるいは顕在化した)という例をいくつか経験している.
 同様に,外傷性記憶も解離の不全型であると考えることはできるだろうか.周知のように外傷性記憶の周辺に解離性健忘が生じていることは多い.記憶が断片化し,周囲,前後の状況を覚えていない.ときには意識が体から抜け出したり,途中から完全な健忘になる.患者はつらい記憶を思い出すのが嫌だから,できればすべてを忘れたいと思う.つまり解離の方向を目指して努力をするのである.もしその努力が成功すれば,あるいは少なくとも成功している間は,彼らは私たちの前にPTSD患者として現れることはないのであろう.
 このように書くのは,筆者らが取り組んでいる持続エクスポージャー法(PE)の治療原理は,反解離であると考えられるからである.この治療は,PTSDが遷延化するのは外傷体験の早期を回避(avoidance)するためだと考え,安全な方法で記憶に直面化(confront)させ,想起に伴う不安を軽減し,能動性を回復させるという方法である.2003年(平成15年)に筆者らがフォア(Foa,E.)教授を招聘して4日間のワークショップを行って以来,日本でも次第に行われるようになってきたが,治療の構造そのものが解離と反対の方向を志向しているだけではなく,治療の方法が,直面化からの逸脱を1日も認めないようになっている.治療の本質は,病因となる出来事を指摘して納得させるということではなく,その記憶への曝露を反復することであり,一種の力学的,質量的な過程を伴っている.このことは,解離という現象が現実感を喪失させ,体験から現実の重みを失わせるような作用を持っていることとを併せて考えると興味深い.
 自分自身でこのような治療をしていると,PTSDと解離について考えさせられることが多いが,上に述べたこともまだひとつの着想というにすぎない.トラウマ論の立場から見たときの解離という現象については,不明なことの方が多い.解離論の歴史の不幸は,解離のきっかけとして成人男性の戦争被害が考えられがちであったということである.この点,抑圧論がその初期に現実の信金者からの性被害を想定していたことと対照的である.シャルコー,ジャネとも,性被害や児童虐待の症例を見ていたにもかかわらず,その精神的な重要性については十分に認識していなかった.そのような広汎な被害事例を対象とした解離の探求は,現代において,まだその緒についたばかりといってもよい.
 今回の特集では,トラウマの臨床において非常に重要な意義を持ち,また理論的にも未整理のところが大きい解離という現象について,各方面からの意欲的な論考を集めることができた.筆者自身,原稿を読みながら今さらのように教えられたところが大きい.もちろん,解離という現象の裾野は,今回の特集だけに尽きるものではないが,今後のこの分野の研究にとって,貴重な文献的資料を提供できたのではないかと思う.貴重な原稿をお寄せ頂いた先生方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます.


トラウマと脱愛着 ―発達神経学的観点からみた乳幼児の解離―

紀平 省悟
有田市立病院小児科

Bowlbyは乳幼児の脱愛着を観察し,それが母子分離と対象喪失に由来することに注目した.一方,現代の愛着理論は着眼点をむしろ虐待に代表される発達早期のトラウマへ移している.そこでは脱愛着の本質は,愛着行動における混乱や葛藤であるとみなされている.しかしいずれにせよ,Bowlbyによる脱愛着の古典的定義や状態像はそもそも解離と重なり合うところが多い.本稿では,愛着行動をストレス反応/情動制御システムとしてとらえ,脱愛着や解離のメカニズムを文献的に考察した.乳幼児期解離の基本パターンは初期警戒反応に始まる情動の二相性変化(初期活性化相とそれに続く不活性化相)と,それに連動したカスケード反応であると考えられた.乳幼児期の解離関連症候には迷走神経系の関与が大きいと思われた.早期トラウマの予後の多様性を理解するためには,神経学的階層論だけでなくダイナミック・システム理論からの接近が必要であると考えられた.


 周トラウマ期解離 ―その概念と変遷について―

栁田 多美
新潟大学教育人間科学部(教育心理学講座)

本論文では先行研究の展望により「周トラウマ期解離」の概念の概要を示した.周トラウマ期の解離とは,トラウマ体験の“最中および直後”に起こる解離のことで,今日までに多くの研究において,その後のPTSDを予測することが指摘されている.  しかし実際にこの時期の解離がPTSDの有効な予測因子となるかについては,様々な意見が存在し,現在も議論が続いている.また最近では,周トラウマ期の苦痛およびパニックが,トラウマ体験時の解離の発現とその後のPTSDを予測する可能性が指摘されるようになった.そのためトラウマ体験時の反応において,解離にのみ重点的に向けられていた注目が,苦痛およびパニックの反応にまで拡大している.


 わが国における解離性同一性障害 ―その成因についての一考察―

岡野憲一郎
国際医療福祉大学精神科

わが国の多くの臨床家はいまだに解離現象に当惑の念を抱くことが多い.それを理解し取り扱うことに困難さを感じるからだ.他方欧米においてはすでに解離性障害の成因に関しては,それが主として幼児期の性的,身体的虐待であるということがかなり定説化している.しかし筆者は自身の臨床体験から別の可能性を考える.なぜなら日本における筆者の解離性障害の症例のほとんどが,明らかな幼少時の虐待の経歴を有しないからだ.そのかわり彼らは幼少時より親,特に母親と,愛情と過剰な期待におしつぶされるような非常にストレスに満ちた二重拘束の関係にあったという場合が多い.筆者はこれを独自のタイプの虐待と考え,「関係性のストレス」と名づけてその社会的,文化的な意味合いについて論じた.


内と外からみた解離の外傷

柴山 雅俊
東京大学医学部精神神経科

解離性障害における外傷体験を周囲環境からの外傷(外部要因)と外傷を受ける小児期の特徴(内部要因)といった内部と外部の観点から考察した.解離性障害の生育歴に多くみられ,かつ自傷傾向を促進させる外傷体験としては,家族内外傷では両親の不仲,離婚であり,親からの虐待があげられる.また家族外外傷では学校でのいじめや性的外傷体験,交通事故などが注目され,解離を起こしやすい外傷状況について考察した.次に,小児期の特性としてWilsonらの空想傾向を紹介し,気配過敏症状,幻視,離人症状,夢中自己像視など小児期の主観的体験について報告した.そこに表象と知覚を混同する傾向を指摘し,さらに近接化と遠隔化の構造についても考察を加えた.


[原 著]日本語版外傷後ストレス診断 尺度作成の試み
―一般の大学生を対象とした場合の信頼性と妥当性の検討―

長江 信和*1,2・廣幡小百合*3・志村 ゆず*3・山田 幸恵*4
Edna B. Foa*6・根建 金男*4・金 吉晴*2

外傷後ストレス診断尺度(PDS)は,DSM―IVのPTSD診断基準に準拠して作られた成人用の自己報告尺度である.本研究では,日本語版のPDSを作成し,一般の大学生を対象とした場合の信頼性と妥当性を検討した.2週間間隔の再検査調査を行い,また,PTSD臨床診断面接尺度の判定結果を目標として,PTSD判定の一致度,および,感度・特異度の検討を行った.その結果,PDSには,学生を対象とするPTSDのスクリーニング尺度として,許容できる高さの信頼性と妥当性を認めることができた.ただし,PTSD診断基準Aの判定については若干の偽陰性が認められたため,適用上の注意点が示された.今後の課題としては,PTSDのハイリスク群においても妥当性検討を進めることが必要と考えられた.


[資 料]児童虐待問題における司法面接とは何か?

菱川 愛
東海大学健康科学部社会福祉学科

児童虐待問題における司法面接とは何か? この問いに対する答え方はいろいろとあると思うが,今回の資料は,2005年度9月19日から23日,米国,ヴァージニア州ポーツマス市において開催されたAmerican Professional Society on the Abuse of Children(APSAC)の40時間子どもの司法面接研修(Forensic Interview Clinic)および2006年8月7日から11日,米国,オレゴン州ポートランド市にあるCARES Northwest(Child Abuse Response and Evaluation Services北西部管轄)における初任レベルの研修,さらに2006年度神奈川県児童相談所においての実践を基に現在司法,社会福祉,保健医療などの分野で子どもの臨床に携わる人々から寄せられている司法面接への関心に応えようと,まとめたものである.


[資 料]PCIT(Parent-Child Interaction Therapy) ―親子のための相互交流療法について―

正木 智子*1・栁田 多美*2・金 吉晴*3・加茂 登志子*1

*1 東京女子医科大学附属女性生涯健康センター
*2 新潟大学教育人間科学部
*3 国立精神・神経センター精神保健研究所

現在,筆者らの所属する東京女子医科大学附属女性生涯健康センターには,多くの女性が何らかの被害経験をきっかけとした精神症状を主訴として通院している.特にDV被害を受けた女性は,子どもと同居している場合が多い.このため,当事者の対応のみならず子どもへの治療的介入が必要に迫られている状況である.
本稿では,全米でDV被害を受けた母子に有効とされているフロリダ大学Sheila Eyberg教授らのグループにより開発されたPCIT(Parent-Child Interaction Therapy:親子のための相互交流療法)について紹介するとともに,このプログラムを国内に導入するための留意点と課題について考察を加えた.

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