第6巻第1号(2008年2月発行)抄録集

公開日 2008年02月01日

巻頭言

 トラウマにかかわるメンタルヘルスの問題,例えば子どもや高齢者の虐待も,DVも,犯罪被害も,自死遺族の問題も,いまや地域精神保健の大きな問題となりつつあるが,どれも20年前には,ほとんどその存在が認知されていないか,知られてはいても地域で日常から取り組むべき問題とは考えられていなかったといってよいだろう.
 昨年もまた,このような領域での法整備については大きな進展のあった年だった.まずは犯罪被害者等基本法では,犯罪被害者給付が大幅に引き上げられ,対象も拡大することになった.「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律」が6月に成立した.施行されれば,被害者の裁判参加を認め,傍聴人としてではなく,被告に対して質問もできる当事者として裁判に位置づけられ,また付帯私訴を行うことも可能になる.また,PTSDの治療についてもエビデンスのある心理療法などに関しては前向きに保険診療の対象としていく方向が示された.子ども虐待防止法でも,DV防止法でも,まだ不足な点は多いが,3年ごとの法改正が昨年も行われた.被害者支援に関する法律は着実に進んでいるように見える.
 法律は,変わったその日から,新しいルーとして機能する.ところが現場はそうはいかない.診断評価にも,治療にも,新しい方法が見つからなかったからといって.次の日からはいつでもどこでもその治療が受けられるわけではない.市町村が相談を行うと決めても,明日から専門家が登場して窓口がフル稼働するわけではない.「知識の徹底を図る」と法律に書いてあっても,研修に参加する人の数は限られている.社会にそれが浸透していくには長い時間がかかる.
 これからしばらく-これまでもそうだったが一法に書いてあることに現実が追い付かない事態が予想される.犯罪被害者がどこから相談しても「切れ目のない支援」を受けられるということは,メンタルヘルスの立場から見れば,必要な場合には,どこに住んでいても,どんな生活状況でも,二次被害なく安心してPTSDやそのほかの精神障害の適切な治療に到達できる,ということのはずである.しかし実際には,そのような仕組みや,そのような要求に耐えうる専門家の質,量を備えた地域はどこにもない.
 それぞれの地域での現場の対応力を引き上げること,一方でそれを牽引する力となる研究成果をしめしていくことの両方の課題がJSTSSにも課されていると思う.

2008年1月
JSTSS会長
小西聖子

【特集】子どもの虐待

特集にあたって

奥山眞紀子

 近年,虐待を受けた子どもの精神的問題に関しては,トラウマの視点のみならず,アタッチメント(愛着)形成の視点から論じられることが多くなってきている.トラウマの問題とアタッチメントの問題は別個の問題ではなく,虐待を受けた子どもの理解には同時に語られる必要があるテーマである.治療に関しても,アタッチメント形成を求めた治療が必須であることが明らかになっている.
 そこで,今回はアタッチメントとトラウマの両方に視点を当てて,乳幼児の治療を青木豊氏に,幼児期後期から学童期の治療を西澤哲氏に論説をお願いした.さらに,森田展彰氏には虐待をしてしまう親への支援に関して,アタッチメントの観点を中心にまとめていただいた.いずれも現在実際に治療を携わっておられる臨床家であり,かつて理論的な背景を踏まえつつ,臨床という現実に足をつけた論説を期待している.
 また,虐待の中で最も強いトラウマの一つが性的虐待である.性的虐待は,日本ではこれまであまり表面に出てきていないが,今後,急速に報告が増加する危険があると専門家たちが危惧している虐待である.性的虐待のトラウマは身体的虐待やネグレクトとは異なる側面がある.実際の臨床的な経験を多く持つ杉山登志郎氏に性的虐待というトラウマの特徴に関しての論説をお願いした.
 最後に,成人になるほど広がりを見せる虐待の後遺症に関して,社会的に影響のある司法精神医学の立場から小畠秀吾氏に論じていただいた.虐待を受けた子どもがすべて精神的に問題を持つわけではないが,一方で,その影響が大きいことも周知の事実である.虐待の問題は,子どもの精神心理的問題としての把握や虐待を受けた人が虐待をしてしまうという再生産の話に留まらない.しかしながら,すべての家族が理想的な子育てをするということは幻想である.したがって,虐待の後遺症を明らかにすることにより,どのような形態で虐待を予防するかということと同時に,虐待を受けた子どもにどのようにアプローチすることによって将来の後遺症を防げるかを明らかにすることが求められているのである.
 今回は,子ども虐待の問題として最も重要と考えられる,アタッチメントとトラウマという視点を中心に特集を構成した.虐待を受けている子どもは,虐待に至る精神的な問題としての発達障害の遺伝の危険があること,虐待環境の中で多く体験される分離や喪失の影響も強いこと,虐待を受けたことによる行動パターンなどからいじめや性被害などの際トラウマに至りやすいこと,などさらに複雑な要素もある.今後,これらの問題を含めて,さらなる研究が進むことが期待されている.


性的虐待のトラウマの特徴

杉山登志郎
あいち小児保健医療総合センター心療科

あいち小児保健医療総合センターにおいて治療を行った被虐待児700名とその親120名について,性的虐待の症例とそれ以外の症例の比較を行った.性的虐待の症例では,児童においては平均年齢が有意に高く,併存症としては反応性愛着障害,解離性障害,PTSD,非行のいずれも有意に多く,特に解離性障害は87%に併存が認められた.男女の比較では,性的虐待の女児でPTSDが有意に多いのに対し,男児において非行や性的加虐が有意に多く認められた.親のうち39.2%に性的虐待か重度の性的被害が認められ,DVの被害,PTSD,解離性障害,非行の既往のいずれもそれ以外の親より有意に多いことが示された.この親子の資料から,性的虐待のトラウマが重症の精神科的症状に結びつき,特に解離性障害の併存が大きな問題であることが示された.性的虐待に対応するため,園や学校による予防,早期発見のシステム構築,また性的虐待ケアセンターの創設が必要であることを提言した.


 被虐待乳幼児に対するトラウマ治療と愛着治療

青木 豊
相州メンタルクリニック中町診療所

乳幼児虐待は本邦における精神保健の重要な課題の一つである.また虐待特異的な乳幼児期の精神病理は,外傷後ストレス障害(PTSD)と愛着の問題・障害であると考えられている.ところが乳幼児期のPTSDと愛着障害の研究は欧米においても診断・評価の研究は進んでいるものの,治療の研究は必ずしも多くない.わが国においてはこれら両病理について,すべての面で研究は遅れているといってよい.このような研究の現状を考慮し,本論文では以下の3つの側面について整理して,臨床の参考に資することを目的とした.すなわち,1)虐待によるトラウマの問題と愛着の問題との発生について,2)それぞれの病理の評価について,3)両病理の治療・支援戦略について―特に並存例について,の3側面である.治療・支援を行うには,個々のケースでトラウマと愛着の問題のそれぞれの重症度を評価する必要があり,さらにはこれら両病理が互いに深く関わっているとの理解も重要となる.次にそれら評価に基づいて,治療戦略―両病理に対しどういう順序で,どの機関の誰が治療・介入・支援を行うかなど―が立てられ実行される必要がある.


 幼児期後期から学童期の子どもの愛着とトラウマに焦点を当てた心理療法

西澤 哲
山梨県立大学人間福祉学部

虐待を受ける子どもの急増に伴い,社会的養護のサービスを受ける子どもたちの,反応性愛着障害などの愛着をめぐる問題が深刻化している.しかし,わが国においては,子どもの愛着をターゲットとした心理療法はほとんど行われていない現状である.そこで今回,5事例を対象に子どもとその養育者が同席して実施するプレイセラピーを実施した.その結果,養育者と子どもとの関係に一定の改善が認められた.


被害体験を持つ虐待的な親への介入・援助―アタッチメントの観点を中心に―

森田 展彰
筑波大学大学院人間総合科学研究科

本稿では,子ども虐待やドメスティックバイオレンスの被害体験を受けた親による虐待行為の心理的メカニズムを,アタッチメント理論をもとに論じた.こうした親とその子どもでは,解体したアタッチメントの表象を持つ場合が多く,それをもとに「役割逆転」パターンを示しやすい.養育者と子どもの関係性に関する認知の歪みを変化させ,肯定的なペアレンティングを促進するためには,どんな種類の介入が有効かということについて論じる.そうした目標を達成するためには,治療者との修正的なアタッチメント体験による解体した内的ワーキングモデルの修復,敏感性に関するスキルトレーニング,有害な親の行動に対する認知行動療法が必要である.特に重篤な虐待事例に対しては,心理学的な治療のみでなく,法的な枠づけが統合的に施行されることが必要である.


虐待の後遺症―特に性犯罪者における被虐待体験を中心に―

小畠 秀吾
国政医療福祉大学大学院臨床心理学

被虐待体験が犯罪行動傾向とくに性犯罪行動におよぼす影響について,文献と自験例に基づいて論じた.性犯罪者はしばしば虐待的な生育歴を有しており,身体的暴力やネグレクトによる対人関係の不安定さや自己イメージの混乱,性的虐待に由来する性イメージの混乱などが性犯罪に影響する.最後に,そのような加害者を治療する際の,被虐待体験の扱い方について私見を述べた.


【原著】児童期中期から青年期前期の慢性反復性トラウマ反応把握の試み―児童養護施設児を対象として―

出野美那子
大阪大学大学院人間科学研究科

本研究では慢性反復性トラウマ反応の視点から,児童期中期から青年期前期の行動を把握することを目的として,児童養護施設で生活する小学4年生~中学3年生206名を対象とし,担当職員101名に回答を依頼した.無記名の質問紙法により子どもの心理・行動特性について回答を求めた.慢性反復性トラウマ反応に該当する43項目について,探索的因子分析,ステップワイズ因子分析を行った結果,29項目について「攻撃性」「回避と孤立/対大人」「衝動調節困難」「反社会的行動」「愛着行動の希求と回避」「回避と孤立/対他児」の6因子が抽出された.「回避と孤立・対大人」以外の5因子において高い適合度が得られ,因子的妥当性と信頼性が確認された.本研究によって,保育者からの評定によって子どもの行動を慢性反復性トラウマ反応の一側面から実証的に捉えられる可能性が見出された.


【総説】暴力的死別による複雑性悲嘆の認知行動療法

飛鳥井 望
東京都精神医学総合研究所

事故,殺人,自殺など暴力的死別による遺族の悲嘆にはPTSDを伴う割合が高く,遷延化,複雑化,難治化しやすい.これまで悲嘆を対象とした治療的介入研究は多く行なわれてきたが,有効性を証明されたのは認知行動療法のみである.複雑性悲嘆治療(CGT)(Shear, K.)は二重過程モデル理論に則り, さらにPE療法(Foa, E.)の技法を取り入れた折衷的認知行動療法技法である.筆者はCGTを一部修正し被害者遺族の治療を試みてきた.本稿では暴力的死別による複雑性悲嘆の認知行動療法について解説する.


【総説】認知処理療法

堀越 勝*1・福森 崇貴*2・樫村 正美*1
*1 筑波大学大学院人間度総合科学研究科
*2 つくば国際大学産業社会学部

認知処理療法(CPT)は,PTSDに特化した12セッションのプロトコール式の認知行動療法である.効果研究の結果,また米国の復員軍人病院での採用などによって注目されている.筆記を用いて曝露や宿題,PTSDに関連する5つの認知的こだわり点を中心に介入を行う点,個人だけでなく,グループを対象に実施可能である点などが特色としてあげることができる.本稿は,CPTの理論的背景,各セクションの大まかな概要などを述べたものである.


【臨床報告】救命救急センターに搬送された夫に面会する妻と看護師のかかわりの一事例

田中 晶子
昭和大学保健医療学部看護学科

精神診断基準DSM―ⅣではPTSDの原因の一つとして,危篤となる重傷を負うような出来事があげられいる。救命センターに搬送された患者の家族は上記PTSD原因の範疇になると考えた。本稿では突然意識を失った夫に寄り添い,救命センターに入院した妻の心理的葛藤に焦点をあて,参加観察法とインタビューから,夫へのかかわり,思いや感情を表現している部分を時間軸で整理した。その結果,夫が意識を取り戻した時に妻は動揺し,筆者に秘密を打ち明けずにはいられない状況になった。そのとき筆者は,妻に肯定的な声かけを行い,妻は安堵した面持ちになったが,翌日以降体調を崩し面会に来られなくなった。このことから面会を重ねるうちにトラウマ反応が悪化したのではないかと考えた。生死をさまよう患者とかかわる家族のなかには,自責の念を強め,自らの心の傷を深くしている場合があることを考慮に入れたかかわりが必要になると考える.


【臨床報告】

事例報告の意味
大山みち子*1,2
*1 武蔵野大学人間関係学部
*2 広尾心理臨床相談室

事例報告は,体験を客観化し考察する助けとなる.提出を前提とする態度も,臨床活動をより冷静にする.効果研究の発展のためにも,治療法の知識・実感のある把握が必要であり,他者の事例報告を知ることが必須である.トラウマ研究においては,個別性は重要である一方で,同定のおそれがあり情報提供の制限を強くせざるをえない.しかし事例をより理解し,援助者の傷つきを防ぐためには,個別性の理解は必要であり,これらのジレンマを乗り越える工夫も事例理解の一助となる.


【資料】専門職者による性的不適切行為(PSM)を防止する

ヴァーナー・チャン*1
訳者 熊谷 珠美*2
監修 宮地 尚子*3
*1 Course Program Director at Zurich University “Intervention and Prevention of Sexual Violence”
*2 八王子市男女共同参画センター
*3 一橋大学大学院社会学研究科

専門職者による性虐待は,「ヒポクラテスの誓い」にも記載されているほど,よくある現象です.被害者は,二重の意味でトラウマを受けることになります.第一に,彼らは助けを必要としている立場におり(例:患者),つまり傷つきやすい状態にあります.第二に,加害者はその職権を濫用し,クライアントが寄せてくれている信頼を悪用するのです.そもそも医師やその他の専門職者たちは,その職務において,クライアントにとって最善のことを行い,そして損害を与えないことに全力を尽くすべき立場の人たちなのです.  専門職者という役割やその職務が何であるかを理解する際に,境界線という概念が役立ちます.PSM(Professional Sexual Misconduct:専門職者による性的不適切行為)とは,専門職者がその専門家としての役割の中で行う,あらゆる形の性虐待のことを指します.境界線を越えて,侵害していく過程は,やがて〔スリッパリー・スロープ(滑りやすい坂)〕とよばれる現象を引き起こしていきます.  筆者は,具体的な介入方法や,この問題の防止のためにできるいくつかのアプローチについても述べたいと思います.

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