第6巻第2号(2008年9月発行)抄録集

公開日 2008年09月01日

巻頭言

本号は,第6巻2号であり,学会成立後,約6年が経過したことになる.私がトラウマティック・ストレスに関する領域に初めてかかわったのは,学会設立の少し前である1998年頃のことであり,当時,警察庁が行った,地下鉄サリン事件,性犯罪及び交通事故の被害者をそれぞれ対象とした研究に参加したのが最初である.当時は,国や地方自治体が行う犯罪被害者を支援する施策がほとんどなく,支援の必要性を強く感じたものである.
その後,1990年代後半から現在までに,被害者支援の施策が次々と実施されるとともに,支援に携わる専門家が増えていったのは,広く知られているとおりである.警察の施策について,いくつかの例をあげれば,1981年から実施されていた犯罪被害給付制度に関しては,給付額の引き上げ,支給要件の緩和や支給対象期間の延長などが図られた.刑事手続きの流れを説明する「被害者の手続き」の配布,捜査の状況を被害者に連絡する「被害者連絡制度」の実施など,被害者が必要としている情報を,警察にわかりやすく説明する仕組みが整えられた.また,主として犯罪の種類別に各種の被害者相談窓口が設置され,犯罪に詳しい警察官,精神科医や臨床心理士が相談を行うようになった.会員の中にも,警察が行う被害者支援の仕事に携わっている方が少なからずいると思う.
ところで,現在,私は,犯罪被害者の実態を把握するために行われている,2つの調査研究に参加している.ひとつは,内閣府の「犯罪被害者類型等ごとに実施する継続的調査」であり,もうひとつは,警察庁の「犯罪被害の実態等についての継続的調査研究」である.どちらも,2005年に施行された犯罪被害者等基本法に基づいて実施されている調査研究である.犯罪被害等基本法では,犯罪被害者等に対し専門的知識に基づく適切な支援を行うことができるようにするため,犯罪被害者に関する調査研究を推進することを,国および地方公共団体の責務と定めている.
犯罪被害者等基本法に記されている,専門知識に基づく適切な支援および調査研究は,トラウマティック・ストレスに関する学術研究と治療ケア技法の専門家の,知識と技術により行うべきものである.社会が,この学会と個々の会員に期待している役割は,非常に大きいと思う.

2008年9月
科学警察研究所
藤田 悟郎

【特集】ジェンダーとトラウマ

特集にあたって

加茂登志子

精神医学や心理学にとって性差の観点はそれほど新しいものではない.しかし,20世紀後半に巻き起こったグローバリゼーションの嵐の後に生まれてきた性差を含む様々な差異への関心と取り組みは,以前に比べ幾分先へ進んだのではないだろうか.例えば,EBMの手法が加わったこと,生物学的アプローチが重要視されるようになったこと,疫学的研究が進んだこと,女性学や社会学が精神・心理系のテーマを多く取り入れるようになったことなどがその背景にあるだろう.研究者の性比もまた,多くの分野でいずれかに偏ることが少なくなってきた.このような過渡期を経て,bio-psycho-social(-ethical)approachにより洗練された性差の観点が再び積極的に交わることで,臨床・研究両側面でトラウマとジェンダーにかかわる領域にリアリティのある成果が徐々に生まれてきているように思われる.
本特集は,トラウマとジェンダーにまつわる様々な課題について現時点での先端的な研究成果を俯瞰し,できる限り可視化するように心がけたものである.その結果,パートナー間の暴力や女性の性被害といったスタンダードなテーマはもちろんのこと,男性や性的マイノリティの性被害,PTSDとジェンダーに関する総論など,日常的には手に入りにくい分野の情報を網羅することになった.言うまでもないが,ジェンダーという概念は男性―女性といった単純な性別でとらえきれるものではない.さらに「ジェンダー」という記号は「トラウマ」と同等か,あるいはそれ以上に表す事柄が複層的であり,また,スティグマからも切り離しにくいものとなっている.そう考えれば確かに諸般複雑な領域とはいえるだろう.しかし,トラウマ臨床において実際には多くの患者がこのジェンダーの領域に取り残されているのである.医学全体にも性差に配慮した医療の考え方が根付きつつある.トラウマ領域におけるリアリティと実効性のある臨床と研究を目指して,この特集が役立つことを願ってやまない.

性的マイノリティとトラウマ

石丸径一郎
国立精神・神経センター精神保健研究所

同性愛・両性愛や性同一性障害である人たちに対する暴力犯罪やいじめは深刻な問題である.本稿ではまず,性的マイノリティである同性愛・両性愛と性同一性障害について,その概念や特徴について整理した.同性愛・両性愛は,現在では精神疾患とは考えられておらず,人口中に占める割合は比較的高い.一方,性同一性障害は,国際的な診断基準に収載されている精神疾患であり,人口中に占める割合は低い.次に,それぞれとPTSDやトラウマ体験について検討した研究をいくつか紹介した.同性愛・両性愛である人たちは,異性愛者に比べて犯罪被害に遭うことが多く,PTSD有病率が高く,PTSD症状も重かった.被害に遭うのは男性のほうが多いが,PTSDを発症したり,症状が重症になるのは女性のほうが多かった.一方,性同一性障害については知見が少なく,今後の研究が待たれる.


 ジェンダーの視点からトラウマを考える:ドメスティック・バイオレンスを例に

栁田 多美
新潟大学教育学部教育心理学講座

ジェンダーとは社会的・文化的に定義された性別に関する観念である.ジェンダー・センシティブな問題へのアプローチとは,ジェンダーが及ぼす影響に気づくことから始まる.また性差によるニーズの違いに配慮し,社会的な男女の立場を反映した不平等をなくす,という視点も含む.さらには,一見すると中立的に見えるジェンダーを問わないアプローチが,ジェンダー・バイアスを生み出していないか,と問う視点である.  本稿では,ドメスティック・バイオレンスを例に,トラウマへのジェンダーの影響について考察した.固定的な性役割観は,暴力の生起だけでなく,被害の申告や認識に影響を及ぼす.また暴力被害を受けた女性の子育てを例に,ケア提供をめぐる「ダブル・スタンダード」について述べた.


 男性の性被害:被害と加害の「連鎖」をめぐって

宮地 尚子
一橋大学大学院社会学研究科

男性の性被害について,日本での現状,社会に流布している誤った思い込み(「神話」)について簡単にふりかえった.そして特に弊害が多いとされる,「性的虐待を受けた男性・男児は,他人に性的虐待を繰り返す」といういわゆる「吸血鬼神話」について,英米の文献を元に詳しく考察した.性犯罪者の自己申告には信憑性に問題があること,性化行動と性加害行動を同一視すべきでないこと,性被害経験だけでなく,しばしば愛着の問題が絡んでいる可能性があること,性被害にも多様なものがあり,調査結果についてはどのようなサブグループの男性被害者が対象になっているのかを見ながら解釈する必要があることを述べた.最後に,「男性性」と,男性のセクシュアリティの形成のあり方について考察した.


PTSDにおける性差

ミランダ オルフ*1
訳者 深沢 舞子*2・加茂登志子*3・金吉晴*2
*1 アムステルダム大学精神科
*2 国立精神・神経センター精神保健研究所
*3 東京女子医科大学附属女性生涯健康センター

ほとんどの研究において,PTSDは男性より女性で有病率が高いことが示されている14,55,66,99,130).しかし,それが心理社会的要因によるものなのか,生物学的要因によるものなのかについては,明らかになっていない.先行研究より,ストレスに対する生理学的反応における性差が,PTSDにおける性差に寄与していると仮定される29,111).特に,認知的評価とコーピングにおけるパターンの性差が,女性においてPTSDのリスクを上昇させるような影響を神経内分泌反応に与えているのではないか,ということが注目される.本稿ではストレスに対する神経内分泌反応の概要を説明し,ここで使用する概念モデルを提示する.そしてこのモデルに沿ってエビデンスを展望した.


子どものPTSDとトラウマ反応の性差―トラウマ脆弱性形成の重要因子として―

白川美也子
国立精神・神経センター治験管理室

成人のPTSDの有病率は女性が男性より高いことがよく知られている.一方,PTSD発症を高める脆弱性の素地は,成人期以降ではなく発達期早期のトラウマ体験によって形成されることが近年示唆されてきている.そこで筆者は,トラウマ曝露後の子どもに関する研究を,PTSD有病率やトラウマ反応の性差が示されているものを中心に検討した.その結果,PTSDは子どもにおいても女児が多く,その原因として性虐待および累積トラウマが大きく関与していた.また,PTSD以外のトラウマ後の反応では女児に内在化症状が多く男児に外在化症状が多い.子どものトラウマ後の反応の性差そのものが,再演や再被害という形でトラウマの再生産に寄与し,性差に影響を及ぼしている可能性が考えられた.


【原 著】大学生における外傷体験からの回復過程に関する検討

八木澤麻子*1・丹羽 奈緒*2・野村 和孝*3・嶋田 洋徳*4・神村 栄一*5
*1 新潟大学大学院教育学研究科
*2 港区教育委員会
*3 早稲田大学大学院人間科学研究科
*4 早稲田大学人間科学学術院
*5 新潟大学教育学部

本研究は,外傷体験からの回復過程を明らかにすることで,外傷体験からの適応に至るプロセスについて探索的に検討することを目的とした.「想起に際して苦痛を感じさせる出来事」と操作的に定義された外傷体験を経験したが,十分に回復していると判断された女子大学生6名が,外傷体験後の心理的変化過程を明らかにするために,経験当時,その経験について自分の中で整理できるようになった時期,回復期である現在の3期が想定された半構造化面接を受けた.面接によって語られた内容については,修正版グラウンデッド・セオリーアプローチによる分析を行った.その結果,様々な広義の外傷体験から回復した者には共通の回復過程が認められ,大学生における広義の外傷体験後の心理的変化過程に関する詳細な記述を行うことができた.


【実践報告】福知山線事故のトリアージに携わった経験

千島佳也子*1
座談会 重村 淳*2・千島佳也子*1・村上典子*3・大澤智子*4
*1 兵庫医科大学大学病院救命救急センター救急看護認定看護師
*2 防衛医科大学校精神科学講座
*3 神戸赤十字病院心療内科
*4 兵庫県こころのケアセンター

救援者が活動する災害現場においては,多様なストレス因子が存在する.災害医療においては,負傷者の緊急度や重症度を評価した上で治療の優先度を決めることが原則だが,救援者はその過程において,日常とは全く異なる緊迫した状況に身を置き,混乱と悪条件のもとで悲惨な現場や死に立ち会うことも多く,過酷なストレスを経験する.そのため,救援者は隠れた被災者となりうる可能性が高く,こころの専門家による介入が必要となる場合も多い.筆者は2005年4月25日に発生した福知山線列車脱線事故において,現場での救援活動を経験したので報告するとともに,今後の課題を提示する.

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