第7巻第1号(2009年2月発行)抄録集

公開日 2009年02月01日

巻頭言

 メンタルヘルスに関わるものとして,「症状の意味は?」「診断とは何か?」という問いは常に付きまとう.身体的な病気は臓器だけ切り離して考えることができても,精神的問題は臓器の問題だけに帰することは困難である.関係性の中で起きるものであったり,社会的問題と結びつくことが多いものだからである.
 トラウマティックストレスはその点でも難しい側面を抱えている.トラウマティックストレス下にあることが多くの困難を引き起こすことは共通であっても,年齢,耐性,環境などによって,その症状は異なるし,時には潜伏して症状が出現することはまれではない.特に,子どもの場合は,いじめや虐待を体験している間はトラウマ反応を呈していないのに,安全に守られてから症状が爆発的に増加することはよく経験していることである.症状が潜伏している状態を「正常」とみなしてよいのかも問題である.本来はそのような人ほど介入・治療・支援が必要なはずだからである.
 医学がトラウマ関連の精神的問題を扱うことにやや拒否反応を示すのも,そのような複雑さが原因なのかもしれない.現在の日本の子どもの精神医学関係の学会ではすべて「発達障害」が中心であり,アメリカの児童青年精神医学会ではその発表の大多数は注意欠陥多動性障害(ADHD)で占められている.虐待・ドメスティックバイオレンス・いじめなどの複雑なトラウマに関しての研究は非常に少ないのは現状である.
 にもかかわらず,社会的に問題となるのは虐待やネグレクトで育って人格に偏りを来した人であることが多い.発達障害でも,いじめを受けることによって社会適応が悪化して医療機関を受診することが多いのである.つまり,社会的重要性は高いにもかかわらず,その複雑さからトラウマティックストレスに関する研究は決して充実しているとは言えないのが現状である.
 本雑誌はそれを改善する大きな使命を帯びている.障壁を乗り越えて,トラウマティックストレスに関する研究を活性化し,トラウマを負った人,その周囲の人々,支援者によりよい予防・介入・支援に関する情報を提供することを目的として,智の共有が進むことが求められている.

2009年1月
国立成育医療センター
奥山真紀子

【特集・トラウマとcomorbidity】

特集に寄せて

前田正治

 外傷性ストレス障害(posttraumatic stress disorder: PTSD)は,臨床上あるいは研究上,他の精神疾患との併存comorbidityがしばしば問題となる.たとえばPTSD例においては,大うつ病,パニック障害,解離性障害,物質依存など多岐にわたる疾患を併存することが知られている.しかし一方で,併存というあたかも独立した疾患が同時に出現する,すなわち限りなく合併症complicationに近いような事態を想定することもあるかもしれないが,はたしてそうであろうか.PTSDに認められる感情の収縮などの麻痺症状はうつ病とオーバーラップするし,回避症状は恐怖症,覚醒亢進症状はパニック障害や全般性不安障害とオーバーラップする.これらは本質的に合併していると捉えるべき事態なのか,あるいは同じ病理現象の異相をみているのか,PTSD概念の単一性homogeneityや異種性heterogeneityが問題となる所以である.
 そもそもcomorbidityという概念自体,DSM-Ⅲ以降の操作的多軸診断の普及と軌を一にして広まった考えであり,神経症概念など従来からある疾病構造論にはなじみにくい考えである.吉松が述べたごとく,「信頼性は高いが,妥当性は低い」概念ともいえる.たとえばO’Brien,L.S.は,トラウマ後の様々な障害や反応をposttraumaticillnessとひとくくりに捉えるべきと考えたし,逆にPTSD症状の多様性ゆえに現在検討中のDSM-Ⅴでは診断を根本的に見直すべきだとする意見もある.PTSDのcomorbidityを考えることは,すなわちPTSDの本質とは何かを考えることだと置き換えることもできるだろう.
 そういう意味で,今回の特集は興味深い,それは,従来からいわれる他の不安障害や気分障害とのcomorbidityを論じるのではなく,素行障害や反抗挑戦性障害,あるいはパーソナリティ障害,睡眠障害といった問題に目を向けたことである.現代の精神薬理学的なテーマの一つである「うつと不安の異同」といった問題に収斂することのない,PTSD概念のすそ野の広さに改めて気付かされる.また男性性被害者の問題に焦点を当てたことも,ジェンダーの問題=女性の問題として捉えられてきた通年を大きく変えることになる.本特集によって,PTSD概念にまた違った角度からスポットライトが照射され,より深い理解と示唆が得られることと思う.

参考文献

1) O’Brien, L.S.: Traumatic events and mental health. Cambridge University Press, Cambridge, 1998.
2) Rosen, G.M., Spitzer, R.L., McHugh, P.R.: Problems with the post-traumatic stress disorder diagnosis and its future in DSM-Ⅴ. Br.J.Psychiatry,192; 3-4, 2008.
3) 吉松和哉: Comorbidityとは何か.精神科治療学,12;739-749,1997.


トラウマとパーソナリティ

佐野信也
防衛医科大学校心理学学科目

外傷性障碍の発症脆弱性としてのパーソナリティに関する研究,外傷がパーソナリティに与える影響に関する研究を,英語圏の報告を中心に要約した.PTSDを発症した人の後方視的調査のみならず,予め評価を受けていた対象が後に曝露された外傷の影響を調べた調査からも,あるパーソナリティ特性がPTSD発症準備要因として作用しうるとされている.一方,多くの研究は外傷がパーソナリティに多彩な影響を与えることを示しているが,成人と幼少児の場合ではその影響は様々な局面において異なる.Hermanらの報告以来,境界性パーソナリティ障碍が外傷関連障碍であるとの意見が提出されてきたが,これに反論する研究報告も多い.ただし,どの研究も幼少期の外傷(環境ストレス)が心理学的のみならず脳構造や脳機能に,ときに非可逆的な影響を残すという点では一致しており,遺伝子‐環境相関の観点から被虐待とその後の反社会的行動の発現との関連性を探索する研究が注目を集めている.


 トラウマと素行障害

宇佐美政英
国立国際医療センター国府台病院児童精神科

近年の重大な少年事件と共に,児童思春期における素行の問題と幼少期のトラウマ体験に関して社会的注目が集まっている.特に子どもおける最も深刻なトラウマの一つとして児童虐待があり,その長期的な影響が数多く指摘されている現状である.特に情緒面および行動面への影響は大きく,その衝動的な行動と自尊心の低下が繰り返し指摘されている.そして,それらの影響は子どもが本来もっていたADHDなどの「子ども自身の要因」,貧困や親の精神疾患などの「家族要因」,近隣の非行集団との出会いなどの「環境要因」,の3要因と複雑に絡み合い,その後の子どもたちの反社会的な問題行動を誘発していく可能性があるといえる. そのため,子どもの心に携わる専門家たちが虐待に早期に介入することや,素行障害へと展開していく前段階で介入することによって,その後の子どもの自尊感情や社会適応が向上し,世代を超えた被虐待体験の連鎖や重大な反社会的問題行動を止める楔になると期待される.


 外傷後ストレス障害と睡眠障害

土生川光成, 前田正治, 内村直尚
久留米大学医学部神経精神医学講座

外傷後ストレス障害(posttraumatic stress disorder:PTSD)では外傷体験の侵入的想起,回避症状,集中困難,抑うつなどの精神症状とともに,睡眠障害が極めて高頻度に出現する.入眠・睡眠維持困難などの不眠と反復する悪夢が最も多く出現し,各々はDSM-Ⅳ-TRの診断基準での覚醒亢進症状,再体験症状の下位項目に含まれている.これらの睡眠障害は,外傷体験の数十年後でも持続し,患者の社会生活に大きな障害をもたらす. このためPTSDでの睡眠障害の特性やその治療について理解することは臨床上重要である.本稿では,PTSDでの睡眠障害の臨床的特徴,睡眠検査とその所見,治療(主に薬物療法)について,これまでの知見と我々が行った研究結果を中心に論じる.


トラウマと非行・反社会的行動―少年施設男子入所者の性被害体験に注目して―

松本俊彦
国立精神・神経センター精神保健研究所 自殺予防総合対策センター

本稿では,筆者自身が少年施設(少年鑑別所および少年院)被収容者を対象として実施してきた調査の結果にもとづいて,トラウマ体験と非行・犯罪との関連について論じた.少年施設被収容少年は,同年代の一般高校生と比較して,男女を問わず様々な被害体験に遭遇した経験を持つ者が多く,また,特に女性被収容者においては,このような被害体験に関連して,自傷や自殺といった自己破壊的行動が顕著に認められた.また,性被害体験を持つ少年施設男性被収容者は,被害内容や被害に関連する自殺傾向,あるいはPTSD関連症状や抑うつ,解離などの精神医学的症状において,性被害体験を持つ女性被収容者と同程度の重篤さを示していた.さらに彼らは,様々な性的嗜好の偏奇を呈する者が少なくなく,性犯罪加害行為が危惧される一群であると考えられ,そこには,被害者から加害者への転換のプロセスが存在する可能性が示唆された.


外傷後ストレス障害(PTSD)と外傷性脳損傷(TBI: traumatic brain injury)について

重村 淳*1,山田憲彦*2,3,武井英理子*3,野村総一郎*1
*1 防衛医科大学校精神科学講座
 *2 防衛省航空幕僚監部
*3 防衛医科大学校防衛医学講座

外傷性脳損傷(traumatic brain injury:TBI)は,交通事故被害者やイラク戦争帰還兵の障害として社会的注目を浴びているが,身体症状と精神症状との関連性は十分には解明されていない.心身の反応が器質的変化に由来するのか,それとも精神障害に基づくものなのか,両者の症状が一部共通しているために鑑別を困難にしている.TBI後の症状は,以前より脳震盪後症候群と称され,ICD-10では独立した疾患として扱われているが,その妥当性は,急性ストレス障害や外傷後ストレス障害(PTSD)との関連性も含めて意見が分かれている.TBI症例では意識障害が外傷記憶の障害を与えうるが,TBIの記憶障害がPTSDへの発展を阻害するのか否かについても見解が一致していない.さらには,賠償・補償の問題とも結びつき,事態をより複雑にしている.本稿では,TBIと精神障害をめぐる様々な疑問点を検証する.


「生活のしづらさ」を抱える慢性PTSDをもつ者へのケア-ソーシャルワーカーの視点から-

大岡 由佳
帝塚山大学心理福祉学部 

災害・犯罪・事件が頻発する今日,被害直後からの心理社会的介入の在り方については国際的にも盛んに論じられており,また疾患としてのPTSD(posttraumatic stress disorder: 外傷後ストレス障害)の治療についても,SSRI(selective serotonin reuptake inhibitors: 選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などによる薬物療法や,エクスポージャー療法などの認知行動療法が盛んに研究されてきた.しかしどのような治療であっても全例が治療できるわけではなく,また,ベトナム帰還兵のように,難治例が相当数存在するような集団も存在する. 本邦においては,PTSDの難治化によって慢性的に症状に悩まされる者への治療はほとんど論じられてこなかったといってよい.そこで本稿では,慢性PTSDをもつ者に対して,リハビリテーション的な介入が必要であった事例について報告した. 慢性PTSDに対しては,慢性精神疾患をもつ者に対して行われてきた精神科リハビリテーションの枠組みが役に立った.その基盤には,症状を抱えながらも日常を立て直していく生活者をサポートする視点と,被害によってディスパワーされた被害者をエンパワーする姿勢が特に必要と考えられた.

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