第8巻第1号(2010年2月発行)抄録集

公開日 2010年02月01日

巻頭言

 2009年は,新型インフルエンザの流行,就職難,裁判員制度開始,政権交代から事業仕分けなど,世の中全体で考えを動かすべき事態が次々と生じた一年であったと思う.これらの中,インフルエンザも就職難もまさに若者直撃であり,それでなくても迷う青年期を,少子化にある今日の若者はどのように生きたらいいのか.
 ストレスは,衝撃的にやってくるとは限らない.じわじわと動く社会の中で,少しずつ増えていく負荷もある.例えば,今回の新型インフルエンザのように,わかっていてもあっという間に大流行し,対応に追われるものもある.ワクチン接種がしばらく確約されずにいた間(全国でも,特に東京都は準備が遅れていた),病弱児を抱える母親が医療機関や自治体に再三電話をかけたがつながらず不安を増し,つながった電話でも埒が明かずにさらに混乱し,対応したスタッフも非常なストレスを受けるという,誰が悪いわけでもないことがわかるだけに,抱えるストレスだけが大きくなるようなスパイラルも生じた.また,今年の大学卒業見込みの学生の就職活動は,聞いているだけでも大変であった.今時の就活スタイルとしては当たり前のインターネットでの申し込みも,門前払いのようなことを数十社から受け,面接にこぎつけても数十社落ち,その間に「自分は世の中から必要とされていない」という思いが青年の気持ちを占めればうつにならないはずがないとも思う.
 それでも,オリンピックを目指す選手は若いエネルギーに満ち,若者らしい葛藤をそのエネルギーで克服していくように見える.就職できなかった若者も,視線は前を向いて言う「やっぱり,自分がしたいことをしようと思うんです」と,立派である.
 大人は,何を若者に伝えることができるんだろうか,ストレスのない人生はない,トラウマにない人生もない.その中で,何をするかはその者が納得していけばよい.そのために,若者が自分らのことを考えて実行できるだけの時間を守り,その力を育む大人でありたい.

2010年1月
国立成育医療センター こころの診療部
笠原麻里

【特集 身体からみたトラウマ】

トラウマと身体症状

岡野憲一郎
国際医療福祉大学大学院

この論文で筆者は「トラウマと身体症状」というテーマについていくつかの視点から論じた.はじめに侵襲や危険に際した原始反応の二つのプロトタイプを示した.それらは「闘争-逃避」型の反応と「強直無動」型の反応であり,それぞれが症候学的な完成形としてはPTSD と解離性障害に対応する.PTSD においては,身体症状はトラウマ記憶がフラッシュバックという形で繰り返し再生されたものとして概念化できる.また転換性障害はもう一つのトラウマ記憶の身体症状ということになるが,この転換性障害という概念や,それとトラウマとの疫学的な関連性については,ややあいまいで臨床家たちの間でも十分な合意は得られてはいない.最後に著者は,構造的解離(van der Hart 他)の概念について紹介し,特に「身体表現性解離」や「陽性/陰性症状」などの概念が,「トラウマと身体症状」というテーマをより包括的に論じる際に役立つという点についても論じた.


 トラウマが脳に与える影響―脳の形態変化と発達・形成の障害を中心に

北山徳行
北山クリニック

PTSD(外傷後ストレス障害:posttraumatic stress disorder)が生物学的研究の対象として一躍注目を集めたきっかけは,1995 年にBremner らが報告したPTSD 患者脳にみられる海馬容積の減少であった.この後,慢性ストレス負荷によるグルココルチコイド(ヒトにおいてはコルチゾール)の長期にわたる過剰分泌が海馬の「萎縮」をもたらすという仮説のもとに,PTSD にみられる脳の形態と機能の異常を神経画像の手法を用いて解析し,その病態生理や発症脆弱因子を解明する試みが続けられている.本稿ではトラウマや慢性ストレスによって脳の各部位に生じる形態的変化に関するこれまでの報告を総括し,新たな注目を集めている神経再生と治癒機序について述べた.


 子どものトラウマ反応—身体症状を中心として—

舟橋敬一
国立成育医療センター こころの診療部

小児がんサバイバーや移植医療患者の研究などでも明らかにされてきたように,子どもにとって身体疾患とその治療は理解を超えた手に負えない脅威であり,トラウマ体験となりうる.しかも,その程度は疾患自体の重篤度より本人の受け取り方に依存しており,医療従事者はそのことを意識して診断から治療の過程に関わることが重要である.児の安全と居場所の確保,主体性の維持と自己効力感の育成に留意したケアが必要となる.一方,トラウマ反応として,さまざまな身体症状やその訴えがみられる.身体症状をトラウマ反応として考えることの重要性は,その症状が隠されている精神的な問題の唯一外に現れた症状である可能性があることと,その場合,身体症状のコントロール自体に心理的アプローチを本質的に必要とすることにある.複雑な経過を示す身体症状,身体化障害,転換性障害,解離性障害の背景にトラウマ体験の可能性にあることを意識しておきたい.


 警察官の外傷性ストレスの実態に関する研究一PTSD 症状と気分・不安障害との関連について一

上田 鼓
神奈川県警察本部警務課被害者対策室

本研究は,警察官のPTSD 症状と気分・不安障害の発生状況及び両者の関連性を検討することを目的とした.現職の警察官に対し質問紙調査を実施し,有効回答率は43.1%(623 部)だった.PTSD 症状について,本研究と2006 年実施の調査結果とを比較するためx 2検定を実施した.有意差は認められず,警察官のPTSD ハイリスク者の割合は男性で8.0 .9.0%,女性で9.0 .I0.0%であると推測された.気分・不安障害は男女とも一般住民と概ね同値であることが示された.x 2検定,t 検定,分散分析,ロジスティック回帰分析の結果,PTSD 症状の関連要因は,周トラウマ期の恐怖・無力感,抑うっ性,活動性,気分・不安障害の関連要因は,周トラウマ期の恐怖・無力感,抑うつ性であることが示された. 外傷的な出来事への直接曝露体験も両症状に影響を与える可能性が示唆された.男女ともPTSD 症状は気分・不安障害と有意に関連していた.


 保健師における災害精神保健支援に関する準備状況

鈴木友理子,深澤舞子,金 吉晴
国立精神・神経センター精神保健研究所 成人精神保健部

目的:地域保健に従事する保健師の災害時の精神保健に関する準備状況を把握する.方法:平成20年度保健師等ブロック研修会に参加した保健師を対象に災害時精神保健活動の知識と自己効力感に関する自記式調査を実施した.結果:有効回答数は523(回収率:51.3%)であり,日常業務内でのトラウマ的出来事への対応経験として,身近な人の突然死(59.9%),子どもへの虐待(49.4%)は比較的多かったが,自然災害(36.0%)等は多くなかった.また,精神健康危機状態への対応について,65%以上のものは「不安」あるいは「どちらかというと不安」と感じていた.また,72.5%のものは,既存の「災害時地域精神保健医療ガイドライン」(厚生労働省,2002)の存在を「知らない」あるいは「読んだことがない」と答えた.結論:保健師の災害精神保健活動の知識,対応への自己効力感を高めるために,被災者への対応法などの具体的な基礎知識や支援技法の研修プログラムが必要であることが明らかになった.


四川大地震JICAこころのケア支援プロジェクト事前調査

冨永良喜*1・藤本正也*2・渡邊智恵*3・吉 沅洪*4・大澤智子*5・高橋 哲*6・瀧ノ内秀都*7・明石加代*5・中村 覚*8・坂元芳匡*9・周  妍*9・土居健市*10・細川幸成*11・加藤 寛*5
*1兵庫教育大学
*2JICA本部(当時;JICA中華人民共和国事務所)
*3日本赤十字広島看護大学(当時;兵庫県立大学)
*4広島市立大学
*5兵庫県こころのケアセンター
*6芦屋生活心理研究所
*7兵庫県震災学校支援チーム
*8JICA東・中央アジア部
*9JICA中華人民共和国事務所
*10青年海外協力隊事務局(当時;JICA中華人民共和国事務所)
*11JICA兵庫

災害多発国であるわが国は,災害後の人命救助・医療支援・心理的支援に至るまで,その知識と技術を蓄積してきた.2008 年5月に発生した中国・四川大地震後の心理的支援として,JICA(国際協力機構)四川大地震こころのケア人材育成プロジェクトが2009 年4月に正式にはじまった.本論文では,プロジェクト発足までの被災地での訪問調査(2008 年11 月と2009 年2 月)の結果を報告し,海外での心理的支援のあり方と,今後どのような貢献ができるかを考察する.


地元臨床心理士による有珠山噴火被災者支援のボランティア活動経過

菊池浩光
LSIこころの相談室

災害などの発生時,地元の臨床心理士たちがどのように心のケア活動を立ち上げていくのかは重要な課題である.2000 年3月31 日の有珠山噴火災害時の被災者支援における室蘭心理療法研究会の心のケア活動の実践経過と支援活動立ち上げのポイントなどを報告する.当初,1万6千人以上という莫大な避難者数と避難所の目まぐるしい変化の前で,室蘭心理療法研究会のメンバーは,地元の臨床心理士として何か行動を起こさなければと思いながらも,何もできない状況が続いた.最初の1カ月は,他機関の支援活動に便乗するだけだった.その翌月に入って協議を定例化し,独自のボランティア活動が始まった.その際,同じメンバーが継続して関わる,あまり注目されていない避難所に入る,活動の時間帯は平日の夜,という地元ならではの活動方針が立てられた.結局,全避難所が閉鎖するまでの4カ月間,リラクセーション教室や喫茶室活動という形で15回の訪問を継続した.災害が終息し避難者がいることも忘れられてしまいそうな時期にも「細く長く」関わっていくことが重要と思われた.

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