第8巻第2号(2010年9月発行)抄録集

公開日 2010年09月01日

巻頭言

―踏み絵による分断を超えて被害者支援を―

 犯罪被害者支援にかかわり始めてから,かれこれもう十年を超えた.
 この十年の間には,犯罪被害者等基本法が成立し(2004年),犯罪被害者等基本計画が閣議決定され(05年),刑事訴訟への被害者参加制度が始まった(08年).それまでの犯罪被害者とその遺族の苦難の年月に比べると,この十年は犯罪被害者支援運動がようやく世間の認知と理解を獲得していった時期であったといえよう.
 精神科医や臨床心理士といった専門職の中にも犯罪被害者支援に加わる人が増え,そのうちのかなりの部分が本学会に参加されていることは,まことに心強いことである.しかし被害者支援運動の拡大の中で,被害者支援にかかわる専門家たちが職能集団の中で何かしら微妙な対立をこうむりつつあるということはないだろうか.
 あるとき私は,久しぶりに再会した先輩医師から,「あなたは昔,精神障碍者の人権擁護運動をやっていたのに,いつから“路線変更”したのか」と問われたことがある.また別の時には,実際に被害者支援に携わっている精神科医から,「精神障碍者の人権擁護運動と犯罪被害者支援の両方をやってる精神科医は,全国を見回しても僕ときみとA意思の3人だけだぜ」と言われた.
 本当に「3人だけ」かどうかは知らないが,とにかく「障碍者の人権擁護」と「被害者支援」という本来矛盾するわけではない二つの運動は,今日ではある種の対立図式の中に置かれつつあるようなのである.たしかに,触法精神障碍者と刑法第39条の問題がある限り,それはある程度仕方のないことなのかもしれない.
 しかし,ここで敢えて問いたい.このままでは「犯罪被害者支援」が踏み絵として機能してしまい,われわれ臨床家のギルドを分断してしまわないか?.と.
 私は決して,すべての臨床家が「障碍者の人権擁護」と「被害者支援」の両方にかかわらなければならないと言っているわけではない.ただ,われわれは理性と寛容をもって,分断を回避せねばならないと考えているのである.

2010年9月
兵庫教育大学大学院
岩井 圭司

【特集 犯罪被害者支援】

特集にあたって

小西 聖子

 犯罪被害は「日常の中の非日常」体験である.戦争や自然災害が,ある地域全体を非日常に押しやり,集団でのトラウマ体験を生じさせることに比べると,犯罪被害者は,他の人が日常を生きる場所で,ひとり非日常のトラウマ体験をする.アパートの一室でトラウマ体験を生き抜く人の壁の向こう側には,平和な日常がある.このような犯罪被害体験の特性が良くも悪くも犯罪被害者支援のありようを規定している.犯罪被害者は圧倒的な少数派であり,多くの人はそのことに無関心であり続ける.その意味では,犯罪被害者支援は,犯罪被害者という人たちがいることを知ることから意識的に始めなければならない.被害を受けた人たちの問題を総体として知っていることが,トラウマに関わる支援をすることの前提となる.
 2005年に犯罪被害者等基本法が制定され,それを具現化するための犯罪被害者等基本計画が策定されたことは,大きな意義があった.基本計画の期間は2010年までの約5年間とされていることから,現在新たな犯罪被害者等基本計画策定に向けた検討が行われている.さらなる進展の方向が議論されている時期の特集であるから,本号では,現在の日本の犯罪被害者支援がどのような状態にあり,なにが焦点であるかについて,メンタルヘルスに限らず,広い範囲の被害者支援の専門家に執筆していただいた.したがって,各種の被害体験におけるメンタルヘルス領域の研究や実践を特集する形ではなく,メンタルヘルスの専門家に知ってもらいたい専門外の問題を主に取り上げる形になっている.
 この5年間で,被害者支援は,特に司法に関わる領域では大きく進展した.しかしながら,メンタルヘルス領域では確かな進展は感じられるものの,専門家の不足など相変わらず解消されていない問題も多い.また犯罪被害者等基本法といわゆるDV防止法の間隙から落ちこぼれるように警察に届け出ない性暴力被害者の支援制度の問題などが諸外国に比べても遅れていると筆者は考えている.
 内閣府の太田氏は現在政府の犯罪被害者支援の政策推進のかなめの位置にあり,現在までの基本計画の実施状況と検討状況について展望している.中島氏は,メンタルヘルス領域からの犯罪被害者支援について,専門家の立場から,この領域の重要性とそれに関わる施策の進展と問題について述べている.番氏は弁護士から見た犯罪被害者支援について述べている.刑事裁判への被害者参加制度,法テラスによる精通弁護士紹介制度などはメンタルヘルス領域の専門家もぜひ知っておく必要のあることであろう.
 さらに今年新しく始まった被害者支援の実践として性暴力被害者のためのワンストップセンター事業がある.小笠原氏が触れている警察庁の「性犯罪被害者対応拠点モデル事業」,産婦人科医の加藤氏が紹介している民間ベースの性暴力救援センター・大阪(SACHICO)の開設がそれである.性暴力被害者に対して病院をベースに24時間体制での総合的支援を提供するプロジェクトであり,特に急性期の性暴力被害者に対しての新しい支援が期待される.第二段階に入ろうとしている日本の犯罪被害者支援の現状について知っていただければと思う.


犯罪被害者等施策の進展と今後の課題について

太田 裕之
内閣府犯罪被害者等施策推進室

政府においては,犯罪被害者等基本計画(以下「基本計画」という)に基づき,犯罪被害者等の権利利益の保護が図られる社会の実現に向け,各種施策を総合的かつ計画的に推進しており,犯罪被害者等施策は,おおむね着実な推進が図られ,一定の成果をあげているものと評価できる.しかしながら,犯罪被害者団体,犯罪被害者支援団体等からは,依然として,犯罪被害者等に対する経済的支援の拡充,カウンセリング費用の公費負担,性犯罪被害者支援のためのワンストップセンターの設置等,さまざまな要望が寄せられている.現行の基本計画は,その計画期間が平成22年度末までとされていることから,現在,犯罪被害者等施策推進会議の下に設置された基本計画策定・推進専門委員等会議において,新たな基本計画の策定に向けた検討が進められている.


 日本のメンタルヘルス領域における犯罪被害者支援の現状と課題

中島 聡美
(独)国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所

「犯罪被害者等基本法」(2004)の成立とそれに伴う施策の推進は,日本の犯罪被害者支援に大きな影響を与えた.犯罪被害者においてはPTSD,うつ病等精神疾患の有病率が高いことが報告されており,メンタルヘルスの回復は重要な課題であることから,「犯罪被害者の精神的回復」は,基本計画の五つの重点課題の一つであり,実際に多くの施策が実施されてきている.しかしながら,このような犯罪被害者支援や施策は,精神医療,心理臨床分野の専門家において十分に知られている訳ではない.精神医療,心理臨床の現場での犯罪被害者への理解および知識の不足は,犯罪被害者のメンタルヘルスへのニーズを満たせないだけでなく,二次被害の原因ともなるであろう.本稿では,日本での犯罪被害者支援の推進の現状を述べるとともに,メンタルヘルス分野の役割と今後の課題について検討を行った.


弁護士による犯罪被害者支援の進展と現状について

番  敦子
番法律事務所

2000(平成12)年以降の犯罪被害者等に対する法整備以降,民事損害賠償請求以外の弁護士による犯罪被害者支援が本格的に始まり,犯罪被害者法律援助制度がそれを後押ししてきた.犯罪被害者等基本法に基づく犯罪被害者等基本計画の策定を受けて創設された被害者参加制度は,2008(平成20)年12月に施行され,併せて国選被害者参加弁護士制度も始まった.弁護士にとって,犯罪被害者支援が特別なものではなく,業務として認識されるようになった.被害者に関わる弁護士が増えれば,今まで以上に研修を充実させ,二次被害を防止しなければならない.ただし,被害者の不満をすべて二次被害として捉えることは問題であって,検証が必要である.被害者参加制度や損害賠償命令制度という新しい制度だけではなく,弁護士による被害者支援活動全般について,二次被害を与えずに,適切な支援を行う姿勢を再確認し,力量の向上に努めなければならない.


警察における性犯罪被害者支援

小笠原和美
警察庁給与厚生課

性犯罪の被害から心身の回復を促すためには,早期に,安全な場所で,安心して,被害者の意思が尊重されながら身体と心へのケアを適切な形で受けることが必要である.同時に,加害者を逮捕し刑事裁判に付して社会的制裁を科すことも,心身の回復にとって重要である.警察では,相談窓口の設置,医療費の公費負担の予算措置,女性捜査員の育成等を行っているが,誰にも相談できず泣き寝入りを強いられる被害者の数は測り知れず,仮に警察へ相談に来ても,警察,病院,法律相談といった各種の場面で,移動と説明の繰返し等,被害者の負担が重いのが現状である.警察庁では,被害者負担の軽減と性犯罪被害の潜在化を解決するため,平成22年度に「性犯罪被害者対応拠点モデル事業」(性犯罪被害者を支える場所を病院の中に設置することで,警察施設への出入りを回避し,被害者の状態や希望に応じた総合的な支援の提供を可能にしようとするもの)を実施する.


性暴力救援センター・大阪(SACHICO)開設の経緯と現況について

加藤 治子
阪南中央病院産婦人科
性暴力センター・大阪

2010年4月1日,性暴力救援センター・大阪,通称SACHICOがスタートした.性暴力被害者に対して24時間体制でのホットラインを含む総合的支援を提供するプロジェクトで,おそらく日本で初めての試みと考えられる.「性暴力被害者への医療は,女性への救急医療」という考えで病院内に救援センターを開設した経緯と,開設1カ月の現況について報告する.


被害者支援における良好な機関連携の質的分析による要因検討

齋藤  梓*1,2・元木未知子*3・鶴田 信子*2・萱間 真美*4・飛鳥井 望*2
*1上智大学大学院文学研究科心理学専攻

*2東京都精神医学総合研究所
*3多摩国分寺こころのクリニック
*4聖路加看護大学精神看護学研究室

本研究では,犯罪被害者支援において他機関とよりスムーズに連携していくためにはどのようなことが必要であるかを検討するため,23名の民間被害者支援団体の相談員等を対象にインタビュー調査を行った.質的分析による結果,「連携する前提」と「連携を開始してからの実際的問題」というコアカテゴリが抽出された.メインカテゴリとしては《連携先機関としての認識と信用》《連携先機関として認識と信用を築く要因》《被害者のニーズの把握と役割分担の認識の不足》《被害者のニーズに沿った明確な役割分担の実現》《被害者のニーズを把握し,役割分担をしての支援が可能であった要因》が抽出された.被害者支援において連携が良好であるためには,各機関の被害者支援へのコミットメントが高まること,実際的な被害者支援に関する知識を得ること,他機関と連携や役割分担に関する具体的な段取りを事前に確認することが必要であると考えられた.


加害行動変化のための治療教育

藤岡 淳子
大阪大学大学院


韓国における消防職員の惨事ストレスの実態と対策

兪 善英(ユ ソニョン)
筑波大学大学院人間総合科学研究科博士前期課程

本稿では,文献調査と消防組織に対する2回の取材(2009年3月および2009年9月)の結果に基づき,韓国における消防職員の勤務の現況や惨事ストレスの実態とその対策に関する動向を紹介した.韓国の消防職員の勤務の現況と,消防職員の惨事ストレスに関する実態調査を行った研究とを紹介した後,韓国消防防災庁(National Emergency Management Agency of Korea)と京畿消防災難本部の現在の動向をまとめた.韓国では2008年から韓国消防防災庁が実態調査や,ミッチェルのCISD(Critical Incident Stress Debriefing:以下CISD)モデルを参考にし,消防公務員の外傷性ストレスケアの基本計画を樹立・通達した.また,同計画は京畿消防災難本部で試験的に実施され,京畿消防学校において第1期・第2期のPTSD管理班の研修が行われたことが紹介された.

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