第9巻第2号(2011年9月発行)抄録集

公開日 2011年09月01日

巻頭言

 東日本大震災が起こった本年3月11日は,我々日本人にとって忘れ難い日となった.これほどの災禍は,自然災害というよりもむしろ戦争を思わせる.今回の地震と津波はすさまじい規模であったが,しかしそれでもこれらは瞬時性が特徴である.これだけでも苛烈であるのに,くわえて原発事故も起こってしまい,災害自体が人災の様相を帯び,しかも非常に長期的な不安を引き起こしてしまった.これから日本は一体どうなるのだろうかという,地域災害というよりも民族の不安というレベルにまで恐れは高じてしまったかのようである.通常の災害が持つ瞬時性,地域性がいずれも失われてしまい,だからこそ何か戦争を思わせるような底知れない不安が人々に降りかかったのかもしれない.
 おりしも学会は今年で設立後10年を迎える.人間で言うとようやく思春期に入ったくらいであろうか.学会にとって今は,アイデンティティを固める非常に重要な時期であるし,飛鳥井望初代会長が「学会は10年までは勢いであり,その後がいよいよ試される時」としばしば口にされるのもこうした学会としての「ライフサイクル」を指してのことだろう.そして,今回の震災はまさに途方もなく大きな試練を我々にもたらしている.重村淳大会長のもと行われるはずであった設立10周年記念大会も,そしてISTSS理事会とのコラボレーションというかつてない試みもまた震災とともに流れてしまった.これらはまことに遺憾なことであったが,しかしこうした計画を立てていたこと自体,今となっては本当に平和なときであったと何か隔世の感さえするのである.
 震災以後,数多くの理事が現地に入り,今後の学会の方向性に関しても多くの提言をいただいている.やれること,やれないことがあるが,非常に重要な二つの原則だけはしっかりと念頭に置いておきたい.一つはあくまでも被災地のニーズに立脚した支援を考えること,あと一つは長期的な視点で支援を考えることである.当たり前のことのように感じる原則であるけれども,これらをきちんと踏まえることは実は至難のことである.理事一同,会員の皆様とともに,腰をすえて,覚悟をもってこの困難に立ち向かうことができればと願っている.
 最後に,会員の中にも被災地に居住されている方が多数おられる.ご家族をふくめ皆様のご健勝を心より祈念しています.

2011年9月
久留米大学医学部精神神経科学教室
前田正治

【特集 東日本大震災-1】

東日本大震災における日本トラウマティック・ストレス学会が果たすべき役割について

東日本大震災特別委員会(加藤  寛*1,岩井 圭司*2,亀岡 智美*3,小西 聖子*4,廣常 秀人*5,藤森 和美*4
*1兵庫県こころのケアセンター
*2兵庫教育大学
*3大阪府こころの健康総合センター
*4武蔵野大学
*5国立病院機構 大阪医療センター

東日本大震災後に,日本トラウマティック・ストレス学会が取り組んできた活動について報告した.発災直後から特別委員会を設置し,情報発信だけでなく,継続的に被災地の専門職を支援する活動を目指してきた.今回の災害では被災地域の医療・保健システムが大きな被害を受けたことから,その再建と強化に関して長期的な貢献が求められており,当学会設立の理念に基づいて,被災地にアウトリーチする方法を検討している.今回の活動が,東北の被災地への貢献となるだけでなく,今後の広域災害発生時により効率的に支援活動を提供するための議論を行う端緒となることを期待したい.


大震災とメンタルヘルスケア─阪神・淡路,東日本大震災の経験より─

野田 哲朗
大阪府立精神医療センター

大災害時被災者のメンタルヘルスケアは,機能不全に陥る被災地の行政,医療機関に代わって被災地外の精神医療従事者が担うことになる.大阪府こころのケアチームが岩手県山田町において3月25日から7月4日まで行った活動では,実相談診療件数が187 件あり,活動開始から第3週(震災後5週)に新規相談診療件数がピークとなったが,以後急速に減少していた.診断では,急性ストレス反応(ASR),外傷後ストレス反応(PTSD)および適応障害が66 名(35.3%),非器質性睡眠障害が36名(19.3%),うつ病エピソード14 名(7.4%),双極性障害4名(2.1%)等となっていた.精神疾患への偏見が強く,一般医療,公衆衛生チームと連携しながらの活動が有効であった.交代要員で組織される支援チームは,応急処置に徹し,地元医療機関に引き継ぐべきであるが,それを担うべき地域精神医療がないという深刻な課題に直面した.今後長期にわたり心的トラウマの影響が続く被災者のメンタルヘルスケアを行うため,災害精神保健システムの構築が必要である.


被災地支援の経験─初期支援および日本児童青年精神医学会災害対策委員会の活動を中心に─

山崎  透
静岡県立こども病院こどもと家族のこころの診療センター

筆者が精神科医として参加した,中越・能登半島・岩手宮城内陸各地震における初期支援活動と,日本児童青年精神医学会・災害対策委員会の活動,および東日本大震災の取り組みについて報告した.筆者は,各地震とも発生後1週間以内に現地入りしたが,被災状況や現地の支援体制,マンパワーの充足度などの諸要因により,外部の支援者に求められる業務は大きく異なっていた.こうした多様な状況を踏まえると,初期支援活動においては,「被災地の指揮下での活動」「被災者の視点に立った活動」「被災地に負担をかけない装備・活動」「研究のための調査の禁止」などの諸原則を踏まえた上で,現地の状況やマンパワーなどを分析し,柔軟に活動していく姿勢が重要であると思われた.また,初期の子どものケアのニーズにばらつきが認められることが多いが,それには①子どもの反応の特性,②被災地の状況,③支援者側の状況などの諸要因が関与していると考えられる.


東日本大震災における救援者・支援者:支援に向けた課題

重村  淳*1・谷川  武*2・野村総一郎*1,インタビュー:山本 智子*3(聞き手:重村  淳)
*1防衛医科大学校 精神科学講座
*2愛媛大学大学院医学系研究科公衆衛生・健康医学分野
*3東京電力福島第二原子力発電所 労務人事グループ 健康管理室

2011 年3月11 日に発生した東日本大震災は未曾有の複合災害となり,甚大かつ広範な被害をもたらした.被災地域の救援者・支援者たちは災害対応に追われ,全国各地からも前代未聞の規模で救援者・支援者が被災地に駆けつけた.救援者・支援者は業務の一環として強烈なストレス(惨事ストレス)を体験し,一部の者においてそのストレス反応は遷延化しうる.過去の報告によると,救援者の有病率は一般被災者よりも高いことが知られている.人々のために働く者にとって,組織的なメンタルヘルス態勢の向上は喫緊の課題である.


国立精神・神経医療研究センター「東北地方太平洋沖地震メンタルヘルス情報サイト」の紹介

深澤 舞子
独)国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター

国立精神・神経医療研究センターは,東北地方太平洋沖地震に際し,被災者を支える医療・保健・福祉関係者へ適切な情報を提供することで被災者の回復を支援するため,「東北地方太平洋沖地震メンタルヘルス情報サイト」を開設した.当サイトでは,災害精神保健全般に関するガイドライン等を掲載するとともに,不眠や飲酒問題,死亡告知・遺体確認といった個別の場面への対応についても概説している.また,子どもへの対応,支援者自身のメンタルヘルス対策,こころのケアチームのためのマニュアル,国際的なガイドラインなども掲載している.その他,支援活動の際のツールとして,見守り必要性チェックリスト,ICD コードに対応させた診断病名集計シート,被災者への説明のためのスライドやパンフレットなども掲載している.発災当初は急性期における支援のための情報を中心に掲載していたが,今後はより長期的な支援のための情報を提供していく予定である.


【特集 医をめぐるトラウマ】

医療従事者の傷つきと回復―医療と死をめぐって―

武井 麻子
日本赤十字看護大学

医療における死の否認という問題はかねてより指摘されているが,ますますその傾向は強くなっているように思われる.能率よく治療やケアを進めるためには,日常的に死の不安やさまざまな感情を切り離し,マニュアル通りに業務をこなしていくしかない.だが,このことが患者・家族や,さらには医療従事者の心身に及ぼす影響は,今や無視できない域に達しつつある.本論文では,心的外傷に関する研究の先駆者の一人であるLifton の生存者の心理に関する研究を参考にしつつ,感情労働者としての医療従事者という観点から,現代の医療の現場に起きている職業的な心的外傷の問題を明らかにするとともに,その予防と回復の方法について考察する.


がん患者における心的外傷とPTSD

和田  信*1・和田 知未*2・金  吉晴*1
*1埼玉県がんセンター 精神腫瘍科
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 成人精神保健研究部

がん患者は,診断や病状の告知・治療などさまざまな場面で心的外傷を負いうる.がん患者における心的外傷は,中・長期間にわたる複数の外傷的出来事/情報としての脅威/現実のがんの進行と死の危険/がんによる症状や治療の副作用との鑑別の必要性などの点で特徴的であり,心的外傷としての評価に注意を要する.成人がん患者と生存者における心的外傷後ストレス障害(PTSD)の生涯有病率はおよそ1 割から2 割と推計されているが,がん患者と生存者の心的外傷とPTSD に対する理解と対応は,医療現場でもそれ以外の場面においても,十分とは言い難い.がん患者の心的外傷とPTSDに対する評価と対応の実践と研究をさらに進めてゆくことが必要な課題であると考えられる.


移植医療とトラウマ

林  晶子
京都大学大学院 医学研究科 集学的がん診療学講座

移植医療は,近年急速に発展をとげ,年々多くの患者がその恩恵を享受できるようになりつつある.しかし一方で,レシピエントやドナーには移植術前後の不安などのさまざまな精神医学的問題も明らかになってきた.また,移植医療によってトラウマ反応,PTSD が引き起こされること,さらにはトラウマ反応を生じたレシピエントは移植医療へのアドヒアランスが低下すること,ひいては死亡率が上昇することがいくつかの研究で示唆されている.しかし,本来は命が救われるための移植医療がどのようにしてトラウマ反応を引き起こす脅威となりうるのであろうか.本論文ではこれまで明らかになった精神医学的問題を振り返るとともに,移植されるという体験を,哲学者Jean-Luc Nancy の心臓移植の体験を参照しながら考察しつつ,以前より指摘されていた移植手術前後のアレキシサイミア(失感情症)とPTSD との関連についても論じたい.


司法解剖をめぐる遺族の苦悩と対応のあり方

辻村(伊藤) 貴子
東京大学大学院医学系研究科法医学講座
日本学術振興会

司法当局からの嘱託に基づき大学の医学部法医学教室において行われる司法解剖は,殺人や傷害致死といった死亡事件で,遺族が必ず直面する司法手続きの1 つである.解剖実施に際し司法警察職員が遺族に通知しなければならないものの,遺族の同意は法律上必要とはされていない.突如遺族となった方々にとって,司法解剖は肉親喪失直後の混乱と動揺の最中に行われており,解剖実施前の説明に対してうまく理解できなかった遺族ほど,解剖後に情緒面が悪化する傾向にあることが判明している.しかし,混乱を極めている遺族に対して解剖前になされる口頭説明には限界があり,新たな説明方法・取り組みが検討,整備されるべきであると考える.本稿では,司法解剖をめぐる遺族対応の現状や遺族の情緒的変化について触れた上で,司法解剖ならびに被害者遺族への対応にまつわる課題を中心として法医学の視点から自験例を基に検討する.


子どもの医療をめぐるトラウマ―子どもにとって病気であることの意味―

舟橋 敬一
埼玉県立小児医療センター 精神科

トラウマ体験の影響には,持続するストレス反応という側面もあるが,子どもの医療という文脈においては,疾患によって身体機能を失ったり生活の制限を余儀なくされることで,子どもの自己像に変化が生じ,人間関係や社会的役割に制限をきたすことによって,子どもの世界観全体が変化してしまうという側面が普遍的であり重要である.なぜなら,子どもの生活がその枠内にとどまることで,必要な経験が制限され,その後の発達に影響を与えるからである.また一方,子どもが自分自身に与えた社会的役割に応じた身体症状が転換性に生じたと考えられる症例に出合うこともある.子どもの医療においても,疾患の治療や症状コントロールが重要であることは疑いないが,その先に作られていく生活全般に対する配慮が,その後の発達を保証するという意味において重要であり,そのためには疾患への理解と受容を促し,新しい生活を作っていくことへのサポートが必要である.


精神科クリニックにおけるドメスティック・バイオレンス被害者の現状と問題

本田 りえ・小西 聖子
武蔵野大学大学院

精神科クリニックを受診したDV 被害者70 人のカルテ調査を行った.被害者の受けていた暴力は,精神的暴力(100%),身体的暴力(88.6%),経済的支配(65.7%),社会的隔離(54.3%),性的暴力(48.6%)と,どれも高率であり重複していた.身体的暴力を受けた女性の72.6%が頭部・頸部・顔面への攻撃を経験していた.臨床的診断は,PTSD(37.1%)を含む不安障害圏が45.7%で最も多かった.シェルターや施設を利用せず,一般社会で生活する女性の間にも,学歴の高低や経済状態に関わらず深刻なDV 被害が数多く存在していた.対象者の30.0%が子どもの療育や問題を抱えており,DV被害者の治療環境について特別な視点と配慮が必要である.


性暴力治療教育プログラムの実践―ヴィクティムからサバイバーへ―

浅野 恭子
大阪府池田子ども家庭センター

子どもから子供への性暴力は児童福祉の分野では大きな課題となっている.性暴力治療教育プログラムでは,加害児童自身の被害者性を理解しながらも被害者の視点に立つことを促し,性暴力の再発防止と,「被害意識」に捉われることを脱し自分の行動に責任を持つ「サバイバー」的生き方を選び取っていくプロセスを支援する.周囲の大人がしっかり対峙すること,支援者がポジティブな眼差しを維持することが子どもの回復には不可欠である.

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