第13巻第1号(2015年6月発行)抄録集

公開日 2015年07月10日

巻頭言

 今回の特集テーマである「トラウマと痛み」は私にとって大変重要なテーマである.「トラウマと痛み」の関係について考えるきっかけとなったのは,2005(平成17)年4月25日に起きたJR西日本福知山線脱線事故であった.兵庫県こころのケアセンターは,加藤寛先生の陣頭指揮のもと,事故直後からいち早く乗客や遺族の支援にあたってきた.その後の約3年間,多くの方々の協力で得られたコホート調査で,驚くべき結果が得られた.その1つがPTSD(症状)と痛みは強く相関する,というものであった.

 考えてみれば,痛みがPTSD(症状)を増強させるというのは,至極もっともなことである.確かに,臨床的にもトラウマ体験後に慢性的な痛みを残した人々の方がPTSDの改善を得にくい印象はそれまでにもあった.しかし,その痛みがPTSDに及ぼす具体的な影響—例えば,侵入症状として,つまり記憶としての身体の痛みを想起することもあり得るだろうし,一方で身体の痛みそのものがトラウマ体験の強いリマインダーともなりうる—まで考え至らなかった.PTSD症状と痛みは,不安,過覚醒,回避的行動,情緒の不安定さ,身体の変調への過敏さなど実に多くの面で共通したところがあり,かつ相互的に影響を及ぼし得る.実証的研究が臨床実践の方策に教えを与えることを深く学んだ研究であった.

 あれから10年が経ち,職場も変わり,この事故の被害者やご家族と直接お会いすることもなくなり,痛みについて学ぶことも途絶えさせてしまっていた.本特集で「トラウマと痛み」がテーマとなると聞いて,その後に得られた最新の知見を学べることを期待している.

 

文献

1)廣常秀人,加藤寛,堤敦朗,ほか:大規模輸送災害が被害者のその後の心身に与える影響.心的トラウマ研究,2;85-93,2006.

2)加藤寛,大澤智子,内海千種,ほか:大規模交通事故被害者の健康被害-PTSD症状と慢性陣痛との関連に比較して-.心的トラウマ研究,3;67-73,2007.

3)内海千種,宮井宏之,加藤寛:大規模交通事故被害者の健康被害 第Ⅱ報-被害後2年半における調査協力者の現状-.心的トラウマ研究,4;67-73,2008.

 

2015年5月

 

独立行政法人国立病院機構大阪医療センター 精神科

廣常秀人

 

 

【特集 トラウマと痛み】

特集にあたって

 

宮地 尚子

 トラウマと痛みには,深くて複雑な関係がある.

 トラウマという言葉は,もともと身体的外傷を意味する言葉である.そこからサイコロジカル・トラウマ(心的外傷)という言葉が作られた.今日ではトラウマというと心的外傷を意味することが多い.つまり,心の傷は身体の傷をメタファーとしている.

 身体の傷が当然痛みを伴うと思われているのに対し,心の傷は物理的痛みを伴うものとはみなされにくい.「心が痛む」と言うときも,それはあくまでもメタファーであり,「本当の痛み」とは別のことが表現されているように思われやすい.

 しかし,心の痛みと身体の痛みは密接に関わりあっている.たとえばトラウマ体験が侵入症状として現れるとき,そのときの物理的痛みが再体験されうることもあるだろう.また,痛みの再体験を避けるために,姿勢を歪ませたり,回避症状としてまたは代替行動として,アディクションなど心身にさらなる悪影響をもたらす現象にもつながっていくかもしれない.

 一方,身体に疼痛がもたらされ,その疼痛がいつ終わるかわからなかったり,終わる可能性が少ないと感じられたとき,また原因や対処法がわからず制御不可能に思われたとき,それは,恐怖や絶望感,無力感などトラウマティックな影響をもたらしうるだろう.

 本特集は,心の痛みをメタフォリックな意味で用いるのではなく,身体的痛みや物理的痛みに焦点を当て,トラウマとの関係をさまざまな切り口から探ろうとするものである.寄せられた論考は,がんの罹患やその治療がもたらす痛み,慢性疼痛に関するペイン・クリニックにおける治療,自閉スペクトラム症の人たちが感じる痛みと自己感との関係,疼痛性障害とPTSDとアディクションの関係,そして痛みに関する脳画像や脳神経ネットワークの研究など,多彩な内容のものとなった.

 いずれの論考も,各方面の最新の知見をベースに執筆されており,読み込めば読み込むほど,身体的要因と心理的要因がいかに複雑に絡まっているのかがみえてくる.身体の痛みと心の痛みが簡単に分けられるものではないことが,新たな次元で理解できるようになる.身体的な痛みの軽減に,心理的配慮や周囲の環境に関する配慮,痛みを抱える当事者同士の相互サポートや社会的支援などが重要であることもよく示されている.

 トラウマが心と身体,人々とのつながり,社会との関係性のなかでていねいに扱われていくために,痛みに注目した本特集が役立つことを願う.

 

 

小児がん治療と痛み

泉 真由子
横浜国立大学教育人間科学部

本論文では,小児がん治療の「痛み」に関する事例や先行研究等を紹介しながら,これに対する支援のあり方について論じている.先進国の小児がん患児にとっては,がん自体の痛みより処置・検査・治療に伴う痛みの方が重大事であり,時にこの痛みは,患児にPTSD症状をもたらすようなトラウマとなり得ることを多くの先行研究が指摘しており,小児がん医療における疼痛管理の重要性が示唆される.特に,①患児自身や家族といった当事者が疼痛管理に主体的に関わり,医療者とともに進めていくことの重要性,②診断時の検査や処置といった最初期の段階からプリパレーションやディストラクションを行うことの重要性が明らかとなった.特に②においては,小児科以外の診療科における認識の普及と多職種連携の実現により,効果的な介入が可能になると考えられる.

 


ペインクリニックからみた心身反応と慢性疼痛

住谷 昌彦*1・四津 有人*2・熊谷 晋一郎*3
*1 東京大学医学部付属病院緩和ケア診療部 *2 東京大学医学部付属病院リハビリテーション科 *3 東京大学先端科学技術研究センター

「痛み」は“組織の実質的ないしは潜在的な傷害と関連した,あるいはこのような傷害と関連して述べられる不快な感覚的,情動体験”と定義されており,痛みの身体要因と心理要因は常に共存し,身体的な痛みの認知は心理因子によってさまざまに影響を受ける.“疾患は何らかの組織傷害(だけ)に起因して発症する”とする考え方(生物医学還元論)では不十分であり,患者の痛みの訴えに対しては常に生物心理社会的モデルに則って,個々の慢性疼痛患者が抱える問題点を層別化して評価する必要がある.このような痛みにおける心身反応について脳機能画像研究に基づいて考察する.
さらに,慢性疼痛に対する治療では“機能障害に対する治療”を中心に据え,“疼痛に特化した治療”と“心理的要因に対する治療”の2つを併用し支援する.治療のゴール設定は,疼痛が充分に緩和することだけでなく,有意義な日常生活を過ごし精神心理的な問題を持たないことに設定する必要がある.
このような慢性疼痛に関する一般的な診療の考え方について,ペインクリニックにおける集学的疼痛診療として概説する.

 


自閉スペクトラム症におけるトラウマ・ストレス・痛みと自己感

綾屋 沙月
東京大学先端科学技術研究センター

近年,コミュニケーションの難しさによって特徴づけられる自閉スペクトラム症(ASD)を持つ人々における非定型な疼痛知覚と疼痛行動に注目が集まっている.本論では,痛みとASDの関係を「自己感」の観点から明らかにする可能性について提案する.先行研究は,自己感の問題が社会的コミュニケーションの問題と痛みの両方を引き起こす可能性があることを明らかにしてきた.しかしそれらは個体側の特性だけでなく,他者との関係における質や量,周囲からの疎外と暴力の経験にも依存しているため,ASD者が必然的に自己感を構築しがたいと考えるのは早計である.ASD者における痛み,自己感の失調,コミュニケーションの問題からの回復の可能性において重要なことのひとつは,多数派の人々が共有する規範,欲望,知識,環境における支配的なデザインとは異なる,ASD者同士の身体条件や要求に適切な新しいデザインを再構築することであろう.


自己感の破たん:痛み,トラウマ,アディクション

熊谷 晋一郎
東京大学先端科学技術研究センター

先行研究によると,疼痛性障害,心的外傷後ストレス障害,アディクションは互いに合併しやすいことが知られている.不適応に陥った痛み行動とアディクションは,当初は強化学習によって獲得された行動パターンが,やがてS-R連合に基づく柔軟性に乏しい習慣的行動に陥るという共通点がある.また疼痛性障害と心的外傷後ストレス障害に関する先行研究では,〈内臓制御信号-内臓感覚-運動制御信号-自己受容感覚-外受容感覚〉というマルチモーダルな情報統合の不全や,自伝的記憶の統合不全の存在が示唆されており,いずれも自己感の重要な側面に障害がある状態としてとらえられる.硬直化したS-R連合を解きほぐすためには,1つの刺激に対して取りうる行動や思考のレパートリーは多様に分散化しうることを学ぶ必要がある.加えて,類似した困難を抱えた当事者同士が互いの経験や行動パターンを分かち合うことが,自己感の再統合にとって必要であろう.

 


疼痛と脳画像

小平 雅基
総合母子保健センター愛育クリニック

本来痛みとは我々生命体が外傷や疾病を受けた際に,被害箇所が回復に向けて機能するために,被害箇所周辺を広範囲に行動制限するための重要な感覚と言える.しかし一方で疼痛が慢性化して,その痛み自体により社会的機能の障害や生活的苦悩が引き起こされる場合もある.現在では,疼痛認知は感覚弁別要素,感情要素,認知要素の3要素からなると理解されており,それぞれ感覚弁別要素は外側侵害受容系に,感情要素は内側侵害受容系に,認知要素は前頭前皮質に位置していると考えられている.慢性化した疼痛の場合には,感覚弁別要素だけでなく,感情要素や認知要素が深く関係している可能性が考えられている.慢性疼痛とPTSDとの関連に関しては,近年注目されてきており,合併の頻度が非常に高いと考えられている.とりわけ兵役経験者や難民,被虐待者といったトラウマ的な体験と同時に痛みの感覚を経験した群に高頻度で認められる傾向にある.

 


【原著】

外傷体験についての思考・自己開示・聞き手の応答がトラウマ反応および外傷後成長に及ぼす影響

林 麻由*1・市井 雅哉*2・宅 香菜子*3・富永 良喜*2
*1 みこころクリニック *2 兵庫教育大学 *3 Oakland University

本研究の目的は,狭義および広義の外傷体験に応じて,出来事に関する思考,自己開示,聞き手の応答がトラウマ反応および外傷後成長に及ぼす影響を検討することである.大学生・大学院生に対して,外傷体験の有無とその内容,出来事についての侵入的・意図的思考,自己開示,聞き手の応答,IES-Rによるトラウマ反応,PTGIによる外傷後成長について尋ねる質問紙を実施し,356名から回答を得た.狭義と広義の外傷体験それぞれに対して,IES-RとPTGIを従属変数とした階層的重回帰分析を実施した.その結果,IES-Rに対しては,狭義と広義の外傷体験のどちらも出来事の直後と最近の侵入的思考が深く関連しており,広義の外傷体験では聞き手のネガティブな応答との関連もみられた.一方,PTGIに対しては,狭義と広義の外傷体験のどちらも聞き手のポジティブな応答が関連しており,広義の外傷体験では出来事の直後の意図的思考がより深く関連していた.

 


犯罪被害者支援における外傷性ストレスと外傷後成長との関連

上田 鼓
警察庁犯罪被害者支援室

本研究の目的は,支援者としての警察官の外傷性ストレス(PTS)と外傷後成長(PTG)との関連,両者を介在する要因を検討することである.
交通死亡事故事件の犯罪被害者支援活動を行った警察官43名を対象とし,事故発生から7カ月後の時点を目処に,質問紙の配付,回収を行った.調査項目はIES-R,K6,PTGI,支援活動中のストレスとサポートの有無である.
IES-RとK6およびPTGIに有意な相関が認められたが,K6とPTGIに有意な相関は認められなかった.「自分自身の支援活動についての内省」に関するストレスがあった群ではIES-RとPTGIに有意な相関が認められた.サポートがあった群ではIES-RとPTGIに有意な相関が認められた.
警察官が支援活動について内省するなどの精神的なもがきを経験した場合や家族や同僚のサポートにより,PTSがPTGを促す可能性が示唆された.

 


【実践報告】

東日本大震災における「あいまいな喪失」への支援─行方不明者家族への支援の手がかり

瀬藤 乃理子*1・黒川 雅代子*2・石井 千賀子*3・中島 聡美*4
*1 甲南女子大学看護リハビリテーション学部 *2 龍谷大学短期大学部 *3 ルーテル学院大学  *4 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所

「家族が行方不明である」という状況は,残された家族にあいまいな喪失をもたらし,それが悲嘆の凍結や複雑化に発展する場合もある.本稿では,「あいまいな喪失」理論を提唱するPauline Boss博士のその理論と介入方法について紹介する.また,東日本大震災の被災地で行った事例検討会でのBoss博士のコンサルテーションから,行方不明者家族への支援の手がかりについて考察する.

このページの
先頭へ戻る