第15巻第1号(2017年8月発行)抄録集

公開日 2017年10月03日

巻頭言

 熊本地震から1年,東日本大震災から6年,阪神・淡路大震災から22年が過ぎた.長いような短いような時間であるのは,被災からの記憶が不連続であるからなのか.復興の足音にかき消されそうになりながら,その日を迎えるときに,あるいはふと懐かしい風景の中に,心によみがえり,町並みの中にその痕跡を見出すような性質だからか.その日から人々はさまざまな道を辿り,今を生きている.被災,受傷からの人の歩みや回復は,トラウマの特徴,その人となり,共同体とのつながりや支援などに影響されて,人それぞれに異なる.心的外傷後成長といわれるトラウマ体験を契機に階梯を上がる人も,さまざまな精神症状,身体症状に苛まれている人もいる.ACE研究が示すように,トラウマは身体的,心理学的,行動学的問題をもたらし,経済的問題に発展し,精神疾患のみならず,さまざまな身体疾患をもたらすなど,トラウマの影響は複雑で多岐にわたる.
 2017年の国際トラウマティック・ストレス学会(ISTSS)はこの複雑さをテーマに,自己から細胞までとサブタイトルをつけ,心理社会学的課題から生物学的課題までを射程に入れて,回復の複雑性を議論するようである.DSM-5では採択されなかった複雑性PTSDがICD-11では診断名として採用されることが決まっている.以前から臨床家が報告してきたトラウマがもたらす影響の多様性,複雑性への関心と理解が世界で深まっているといえよう.臨床的にはトラウマとの関連が推察されるものの,PTSDだけでは捉えきれない数多くの病態が報告され,それらは併存症(comorbidity)として副次的に記述される.とはいえ,その広がりや重篤度,成因も経過も十分に理解されているとはいえない.「世界は心的外傷に満ちている」(安克昌)中,「トラウマがなければDSMブックは3分の1の厚さになるだろう」(van der Kolk)と考えれば,併存症へのアプローチはトラウマの多様性,複雑性の正体を解明するための重要な位置を占めている.本特集がその一助となることを願っている.

2017年5月
兵庫県立ひょうごこころの医療センター
田中 究

【特集 トラウマとcomorbidity2】

特集に寄せて

廣常 秀人

初めて「トラウマとcomorbidity」が特集されたのは,2009年第7巻第1号で,特集として再び取り上げられるのは,8年ぶりのことである.前回comorbidityとして取り上げられたのは,パーソナリティ,素行障害,睡眠障害,非行・反社会的行動,外傷性脳損傷であった(下記参照).

 前田正治:特集に寄せて.トラウマティック・ストレス,7:11,2009.
 佐野信也:トラウマとパーソナリティ.トラウマティック・ストレス,7:13-23.2009.
 宇佐美政英:トラウマと素行障害.トラウマティック・ストレス,7:24-34,2009.
 土生川光成,前田正治,内村直尚:外傷後ストレス障害と睡眠障害.トラウマティック・ストレス,7:35-42,2009.
 松本俊彦:トラウマと非行・反社会的行動―少年施設男子入所者の性被害体験に注目して―.トラウマティック・ストレス,7:43-52,2009
 重村淳,山田憲彦,武井英理子,野村総一郎:外傷後ストレス障害と外傷性脳損傷について.トラウマティック・ストレス,7:53-59.2009.

 前田は「特集に寄せて」で,「(略)今回の特集は興味深い.それは,従来からいわれる他の不安障害や気分障害とのcomorbidityを論じるのではなく,素行障害や反抗挑戦性障害,あるいはパーソナリティ障害,睡眠障害といった問題に目を向けたことである.」と,中核となる不安障害や気分障害ではないcomorbidityを特集に組んだ意義を強調した.PTSDとそのcomorbidityの関係を考えるうえで,前田の指摘は今でも重要なテーマであり続けており,ここに改めて取り上げておきたい.「そもそもcomorbidityという概念自体,DSM-Ⅲ以降の操作的多軸診断の普及と軌を一にして広まった考えであり,神経症概念など従来からある疾走構造論にはなじみにくい考えである.」と述べ,「トラウマ後の様々な障害や反応posttraumatic illnessとひとくくりに捉えるべき」,逆に「PTSD症状の多様性ゆえに現在検討中のDSM-Ⅴでは診断を根本的に見直すべきだとする意見もある」ことをも紹介している.トラウマ後の多様な症状について現行のDSM-5で整理が行われたとは言い難い状況を考えると,このテーマは今後も議論が続いていくものと思われる.
 今回のcomorbidityとしては,うつ病,精神病,物質使用障害と,より中核となる障害を中心に特集されており,PTSD概念へのさらなる理解が得られるのではないだろうか.

うつについて

執筆者 田中英三郎

トラウマ体験後のうつ病の有病率はPTSDと同様に高く,また両者は併存することがしばしば認められる.本稿では,うつ病とPTSDの関連に関して,疫学,症候学,生物学的要因,治療の観点から既存の知見を概観した.疫学調査によると,トラウマ体験直後にはうつ病,PTSD ともに高い有病率が報告されているが,その経過と関連要因はそれぞれ異なる可能性が示唆されている.症候学的には,興味/喜びの喪失,罪悪感,集中力低下,睡眠障害が共通しており,生物学的要因としては,前頭葉の低活動と扁桃体の過活動などが共通して認められている.治療に関しては,うつ病を合併したPTSDに対して持続エクスポージャー療法を実施し,うつ症状とPTSD 症状ともに軽減をみた自験例を提示した.

精神病におけるトラウマ:最近の研究の概観

執筆者 國分 恭子・松本 和紀

心的外傷(トラウマ)は,統合失調症をはじめとした精神病と関連することが知られているが,わが国ではこの問題についての関心はまだ十分ではない.精神病では,発病以前に子ども時代の虐待などによりトラウマを経験する割合は高く,トラウマは精神病発症リスクを高めると考えられている.また,発病後も精神病症状の体験や精神科治療に関連した強制医療(隔離,身体拘束,強制薬物治療など)がトラウマを引き起こすことがある.トラウマの問題は病状の慢性化や複雑化を引き起こし,治療を一層困難にしている可能性があるが,実際の臨床場面では精神病の患者のトラウマやPTSDは見逃されたり,過小評価されることがある.
近年,精神病とトラウマとの関連が明らかになるにしたがい,その治療法についての研究も成果を挙げている.今後は,精神病におけるトラウマの影響を考慮した対応や心理的アプローチの進展が期待される.

物質使用障害

執筆者 松本 俊彦

物質使用障害(substance use disorder:SUD)とさまざまなトラウマ関連の問題は密接な関連がある.本稿では,トラウマ関連障害のなかでも,特に外傷後ストレス障害(posttraumatic stress disorder:PTSD)を取り上げ,SUDとの併存の実態,ならびに,両者を併存する患者を治療する際の課題を整理した.そのなかで,SUDとPTSDとは併存率が高く,他の精神障害の併存,重要他者との葛藤や身体疾患,子どもへの虐待,親権争い,ホームレス,HIV感染のリスク,家庭内暴力といった困難な現実的問題を抱えているなど臨床的特徴があり,それぞれ単独の場合に比べて,併存患者の治療は困難をきわめることを指摘した.最後に,PTSDとSUDの双方を視野に入れた治療法として,「Seeking Safety」を紹介した.

【原著】

性暴力被害者のためのワンストップ支援センターから精神科へ紹介された被害者の実情と治療の課題

執筆者 淺野 敬子・正木 智子・今野理恵子・山本このみ・平川 和子・小西 聖子

背景と目的:性暴力被害者のPTSD症状を速やかに改善することは,被害者の回復において重要であると考えられるが,ワンストップ支援センターを利用した性暴力被害者の精神症状および実情について国内の報告はほとんどない.本調査は,急性期性暴力被害者の実情を踏まえた介入方法と課題について検討することを目的にカルテ調査を行った.
方法:ワンストップ支援センター開設後3年半の間に,当該支援センターから精神科へ紹介された女性の性暴力被害者について,カルテ情報から対象者の属性,被害内容,診断名,治療転帰などの情報を収集しデータ分析した.
結果:対象者30名は平均年齢27.4±7.46歳であり,ASDまたはPTSD罹患者(PTSD疑いを含む)は83.3%であった.対象者のうち被害後3カ月以内に精神科を受診した者は56.7%であった.
考察:対象者のASD,PTSD罹患率は高い結果となった.本結果からワンストップ支援センターから紹介される性暴力被害者への介入方法を検討した.

【実践報告】

東日本大震災における若年被災者をもつ親への電話支援について―福島県「県民健康調査」から―

執筆者 及川 祐一・前田 正治・髙橋 紀子・柏﨑 佑哉・上田 由桂・久田  満・中山 洋子・増子 博文・矢部 博興・安村 誠司

今回の東日本大震災による複合的災害で多大な影響を受けた福島県において,沿岸部に在住する住民約21万人に対して質問紙調査を行い,あわせて電話や文書による支援を行った.その中でも子どもを持つ親に対して行った支援について,親から語られた困難さと,電話支援の有用性と限界について論じた.電話支援内容から,多くの母親が不安や困難を抱き子どもとの間で相互的な影響を及ぼしていることが明らかとなった.またこのような架電サービスは,今般の災害のように大量の被災者が広域に散在した場合には,きわめて有効な支援となり得る一方で,直接的な,あるいは継続的な支援ができない等の限界もあった.地域の支援ネットワークといかに有機的に連携を図るかが,このような架電サービスの成功の鍵を握ると考えられた.

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