第16巻第2号(2018年12月発行)抄録集

公開日 2019年04月02日

巻頭言

 国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)が2018年6月18日に公表された.今後,2019年5月に世界保健総会(World Health Assembly)に加盟国の採択のために提出され,2022年1月1日に発効する予定であるという.2007年の改定作業開始からこれまでの間に,数多くのフィールドテストが日本を含めた各国で行われていた.インターネットの普及により,オンラインでの調査やパブリックコメントへの参加が比較的容易であった.微力であるものの改訂に協力したという感覚を抱くことができるのが,米国の診断基準であるDSMとの違いであろうか.
 ストレス関係疾患を担当していたワーキンググループのメンバーの多くが国際トラウマティック・ストレス学会のメンバーであり,数年前から毎年ICD-11関連のシンポジウムが開催されてきた.筆者は今回新たに加わるComplex PTSDの動向を追ってきた.数年間の間に暫定的な診断基準を用いた研究が発表され,国際的に協力しながら診断基準の妥当性を議論していく様を目の当たりにし,周囲を巻き込む情熱と,緻密な理論構築の両方が新たな概念の成立には欠かせないのだろうと感じた.エビデンスの延長線上に疾病分類があるというよりも,科学によるエビデンスと時代,人間模様が複雑に絡み合った産物に見えてくるのである.
 診断基準の変更のたびに新しい名称や概念に振り回され,あるいは最新の精神医学を学んだつもりになって,時を経ても変わらない大事なものを見失っていないかと思い悩むこともある.しかし一方で,新たな視点を与えられることで頭の中が整理されたり,仮説が思いついたりするという恩恵にあずかることもある.今回ICD-11の成立過程をつぶさに観察できたので,今後は診断基準をただあがめ奉るのではなく,もう少し身近な存在として接していきたいと思う.

2018年9月
久留米大学
大江 美佐里

【特集 トラウマと加害者】

特集にあたって

森田 展彰

 近年,臨床心理学や精神医学やその関連領域で,加害的側面をもつ人への広い意味での支援を行うことが求められることが増えている.トラウマ学にとって,加害者やその臨床にはどんな意味があるだろう.1つには加害者とは,トラウマの原因を作った人といえる.被害者やその支援者にとって恐怖や怒りの対象であり,できれば触れたくない存在であろう.しかし,被害者を守るために,加害者を引き離し,刑務所に入れるなどの処分を行うのは1つの解決であるが,長い目で見ると多くの加害者は社会に戻ってくるので,加害者が減らないと被害者はなくならない.企画者である筆者は,DVの加害者プログラムの日本への導入という内閣府のプロジェクトに関わり,その際欧米で加害者プログラムを行っている方にお話を伺う機会があった.そうした方の多くが被害者支援に携わっていた方であり,そのうちの1人から「被害者の回復支援のみを続けても,被害者の死亡が減らないと考え,加害者プログラムを始めた.」というお話を伺った.そしてDV加害者プログラムの最終的な目的は,DV被害者支援であり,目の前の加害者もクライアントであるが,その向こうにいる被害者が真のクライアントだと思ってプログラムを行っていると教えていただいた.トラウマ学にとっての加害者臨床のもう1つの意義は,加害者の多くが過去に被害体験やそれによるトラウマによる影響を受けているということである.いわゆる「世代間連鎖」といわれるものである.加害者の更生を進めていく時,加害者自身の傷つきや喪失の整理が本質的な意味をもつ.以上のように,加害者臨床は,社会全体そして世代を超えたつながりという大きな視点で見る時,被害者支援と両輪のようにして取り組まれるべきものであるといえる.
 そこで今回の特集では,加害者臨床の日本における最先端ともいえる刑務所の性犯罪の再発防止プログラムや医療観察法のプログラムでの具体的な内容や働きかけの工夫をご紹介いただくとともに,加害者のみでなくその周りの家族やコミュニティとの関係を扱う加害者家族の支援,児童虐待を行ってしまった養育者と子どもの再統合支援についてご報告いただいた.さらに,企画者自身が,まとめの意味で,加害者という人とどのように関係を築いていくかという総論を書かせていただいた.こうした特集をきっかけに,被害者支援と加害者への働きかけについての統合的な理解や実践が進展していくことを希望している.

性加害者に対する指導―罰と再犯防止を両立するために何が必要か―

大江 由香

性加害者が指導や支援を受けることに怒りや疑問を感じる人がいて当然である.他方,性加害者がいつか社会に戻って来ることを考えれば,罰を与えるだけでなく,再犯防止を図ることも重要である.本稿では,性加害者の指導において罰と再犯防止を両立させるための課題を取り上げて,性加害者の指導・支援の在り方について議論した.実際,罰を与えることと再犯防止を図ることを両立しようとすると,性加害者の指導がうまくいかず,逆効果になる場合があるが,それは罰と再犯防止を両立する上でのジレンマ(①罪や問題への直面化と人格の尊重,②性加害の責任を負わせることと被害者としてのケア,③過去への償いと未来への希望,④規範意識の獲得と無意識的な思考行動の制御)があるからである.こうした複雑かつ困難な指導上の課題をうまく整理するためには,物事を俯瞰し,客観的に捉える力,メタ認知能力を獲得させることが不可欠であり,認知行動療法やマインドフルネスなど,性加害者処遇で頻繁に使用される技法によってメタ認知能力を向上させることができる.

医療観察法における触法精神障害者への働きかけ―重大な他害行為を行った対象者と回復計画を協働で作成・活用する―

野村 照幸

医療観察法処遇では社会復帰と再他害行為防止を目的に多職種チームによるさまざまな取り組みが行われている.特に入院処遇においては,疾病教育や心理教育,内省・洞察の促進への取り組みから,対象行為に至るまでの病状悪化のプロセスをまとめ,再他害行為を防ぎ,社会復帰を進めるために病状の段階に応じた適切な自己対処や支援者の対応を対象者と協働してまとめる.そうした回復計画は“クライシス・プラン”と呼ばれ,全国の医療観察法入院医療機関において作成されるようになり,対象者の疾病自己管理や効果的な支援者の対応に役立てられている.

触法精神障害者の支援において,支援者主体のリスク・マネジメントに偏った計画は対象者の主体性を低下させ,リカバリーを阻害する可能性がある.対象者の自己決定を尊重し,支援者と協働で回復計画(クライシス・プラン)を作成,活用することは支援者と協力して病状管理を行うことを促進すると考えられる.

日本における加害者家族への支援

阿部 恭子

加害者家族は,自責の念から自殺に至るケースが報告されてきたにもかかわらず,刑事司法や行政などあらゆる支援の網の目からこぼれおちていた.さらに,加害者家族自らが声を上げることは容易ではなく,加害者家族がどのような状況にあるのかを示す情報は存在しなかった.

NPO法人WorldOpenHeart(以下WOHと略す)は,社会的弱者への支援と政策提言を目的として,2008年,宮城県仙台市で組織され,全国に先駆けて加害者家族支援を実践した.

WOHはこれまで,1,300件以上のさまざまな状況にある加害者家族を支援しており,「加害者家族」とは「自ら犯罪や不法行為を行った行為者ではないが,行為者と親族または親密な関係にあったという事実から,行為者同様に非難や差別に晒されている人々」と定義している.

本稿では,日本の加害者家族の現状を紹介し,ケアと人権の観点から加害者家族が抱える問題へのアプローチを検討する.

子どもを虐待した親への支援―「CRC親子プログラムふぁり」の実践をもとに―

宮口 智恵・唐津亜矢子・岡本 正子

「CRC親子プログラムふぁり」は,カナダの民間団体の再発防止支援を参考に開発された家族再統合プログラムである.対象者は虐待された子どもとその親であり,子どもの約8割は施設等へ入所中である.このプログラムは「子どもにとっての安心の基地」について親とともに考えることを行う.プログラムは親時間,子ども時間と親子交流時間で構成されている.親子交流時間では,スタッフは親子とともに過ごし,親子の関係性に直接働きかけている.支援の柱は,アタッチメント理論(関係性の理解)とバイオグラフィー(個の理解)の視点,ソーシャルワークのアプローチである.プログラム開始は,親にとって,納得のいかない介入であり,不安や恐れを生む.その後,親はスタッフとの関係を築きながら,スタッフを安心の基地,安全な避難所にして,子どもへの観察,虐待行為の内省という探索に向かう.「ふぁり」は他者を信頼して協働作業を行う支援の始まりである.

加害者と共同作業を行うために必要なこと―DV・児童虐待の加害者を中心に

森田 展彰

加害者に援助的に関わる上で難しい点を列挙して,それらを超えていく考え方や具体的な方法について論じた.その困難な点としては,具体的には,①加害者は自分の問題や支援の必要性を認めない場合が多いこと,②加害者は,逆境的な体験を持つ場合が多く,安定した治療関係を作ることが難しい.③加害者の認知を変えて,責任を取ることを促すことの難しさ,④援助者が加害者に対して支配的な態度にならず,対話を保つこと,⑤加害行為をめぐる社会的枠組みの理解と対応が必要なこと,の5点である.加害者は過度に道徳的な規準で自分や相手を裁く一方で,自分の不安や弱さを感じることを回避しようとして,子どもやパートナーに一方的なケア欲求を求めて支配的な行動を行っている.加害の裏にある不安や弱さが話せる関係を粘り強く作り,支配に頼らなくても,自分なりの意味や価値を見出すスペースを援助関係の中に作り出すことが治療のポイントになる.

【原著】

親密なパートナーからの暴力(IPV)被害者を対象としたインベストメント・モデルの検証―IPV関係を終結するか継続するかの意思決定の側面から―

土岐 祥子・藤森 和美

日本で初めて,160名のIPV女性被害者を対象としてインベストメント・モデルを検証した.これは,IPV関係を終結するか継続するかの決定に関する説明モデルのうち,海外で実証的に支持されているモデルである.その結果,「IPV女性被害者に関して,IPV加害者である「相手」との関係への満足度が高く,「相手」との関係の代替策の質が低く,「相手」との関係に対する投資の程度が高いと認識している人は,「相手」との関係へのコミットメントが高い.」というインベストメント・モデルの想定する仮説は支持された.さらに,IPV関係が継続している44名のIPV女性被害者を対象として,IPV関係終結・継続の意図を含めて検証した結果,前述の仮説に加え,関係へのコミットメントが関係終結・継続の意図に影響を与えることが示唆された.今後は,インベストメント・モデルを使ってIPV被害者の関係継続・終結に関する心理状況のアセスメントを含めた介入方法の工夫が期待される.

【総説】

ICD-11におけるComplex PTSD診断:理念の受容は円滑になされるか?

大江美佐里

本稿では新しいICD-11分類でComplex PTSDが正式に診断名として成立したことをふまえて,どのような診断概念であるのか,Complex PTSD患者群が持つ特徴,臨床場面でComplex PTSD診断の理念が円滑に受容されるのか,について過去の文献を概観する.ICD-11では,診断基準公開までのプロセスが目に見える形になっていた.特にオンラインや面接でのフィールドスタディの実施等が本邦を含め世界規模でなされ,その結果が診断基準に反映されたことは注目に値する.Borderline Personality Disorderとの鑑別,DSM-5診断との整合性など,今後検討するべき課題があり,ICD-11分類のためのワーキンググループが意図したとおりにこの診断が普及するか,興味をもってみていきたい.

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