第17巻第1号(2019年7月発行)抄録集

公開日 2019年09月10日

巻頭言

 産業保健領域で災害といえば,爆発事故や機械に巻き込まれての負傷等の労働災害が代表的であり,その予防手法や制度・補償等の検討が数多くなされてきている.このような文脈に加えて,パワーハラスメントやセクシャルハラスメントに関連したトラウマティック・ストレスの問題を呈した同労者の理解については,多くの知の蓄積がなされてきた.一方,東日本大震災をはじめとした大規模な自然災害やテロの経験は,職場環境以外の要因による災害や事故が企業に与えるインパクトを知らしめた.そして企業の存続のためには,さらに広いメンタルヘルス対策が不可欠であることが再認識されたが,今後の検証が求められている.
 災害時,刻々と状況が変わる現場では,職場ごとに労働者の不調のリスク要因に気づき,どのように対応するか,既存の手法を適用できるのかの工夫が求められる.このための専門職の確保の必要性も指摘されつつある.当トラウマティック・ストレス学会(JSTSS:Japanese Society for Traumatic Stress Studies)の会員であれば,代理受傷,二次被害,記念日反応,スピリチュアルな面の不備による弊害,遺族対応,閾値下のPTSD,複雑性悲嘆などは,おなじみの知識である.このような労働者の生産性の低下や復職困難につながる要因に気づき,現状に即して職域ラインにフィードバックしていかなくてはならない.また平時では,ともすれば基本的に感じられるような,ハイリスク状況や対象者への臨床実践が,災害時では困難で根気を要するものになることをふまえて,現実的な方法を提案していかなくてはならない.
 こうした取り組みを可能にするのは,平時からの,産業医,産業心理士,産業看護師をはじめとした企業内のスタッフの理解や実践が前提となるが,復興復旧期以降の個別の対応では,より広い範囲の関係者の理解も大事になる.例えば,相談を受ける外部相談機関,産業保健総合支援センター,リワークセンター,公共職業安定所などの支援者や,キャリア・産業カウンセラー,グループケア支援者も,トラウマティック・ストレスの知識をふまえた上で対応できれば,有益であろう.公務のみならずさまざまな産業領域の保健関係者にも是非JSTSSへ御参画いただき,ともに探求できればと思う.

2019年5月
トラウマと社会
黒澤 美枝

【特集 トラウマ焦点化治療の現状と課題】

特集にあたって

加藤 寛

 2015年の第14回大会で特別講演を行ったSchnyder2)は,PTSD治療にエビデンスの証明された7つの心理療法に関して,それぞれの開発者とともに治療間の共通要素は何かという興味深い総説1)を書いている.結論として,心理教育,感情調節とコーピングスキルを高めること,想像曝露,認知処理と認知再構成および意味づけ,感情を標的にすること,そして記憶の処理が,共通要素であると指摘し,これらの基本的要素の作用機序についてさらなる研究と,アウトカムを高める別の機序や要素についての探求が必要と述べている.さらに,患者の特性に合わせて治療をテーラーメードする可能性を検討する必要があると考察している.なお,この総説はESTSSの学会誌に掲載されオープンアクセスで入手しやすく,さらに大江による邦訳が公開されており,会員諸氏には是非読んでいただきたい論文である.
 日本でも,PTSDの心理療法に関しては,この20年間あまりの間にいくつかの選択肢が紹介され普及してきた.当学会では2004年に,PTSD治療に関する検討委員会が設置され,会員を対象としたアンケート調査が行われた.それによると,それまでに経験した治療内容(重複あり)では,支持的精神療法80%,心理教育75%,薬物療法62%の順で多く,すでに日本にも紹介されていた認知行動療法(エクスポージャーなど),およびEMDRは,ともに約3割であった.今後習得したい治療技法としては,認知行動療法を希望する割合が医師,心理職ともに最も高く半数を超えていた.こうした状況に呼応して,まず持続エクスポージャー療法(PE)が小西,金,飛鳥井らによって普及されていく.その後,Shearらの複雑性悲嘆療法,複雑性PTSDに対する認知行動療法であるCloitreらのSTAIR,そしてResickらの認知処理療法(CPT)が,次々と紹介され,どの研修会も満員の盛況を呈している.また,EMDRは阪神・淡路大震災の翌年1996年に始めて日本に紹介された.初回のトレーニング受講者が中心となってEMDR-Network JAPANが結成され,その後日本EMDR学会として発展し,現在は1,000名を超える会員を抱えるまでの組織になっている.さらに子どものPTSDに関しては,Deblingerらが開発したトラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT)が紹介され,筆者のセンターでも研修を開催しているが,毎回定員を遙かに超える応募があり関心の高さを物語っている.
 本特集では,日本で普及している成人向けの3つの治療法(PE,CPT,EMDR)と子ども向けの1つの治療法(TF-CBT)について,その治療要素と概要および検討すべき課題を改めて確認する.いずれの筆者も,各治療法の日本に導入し復旧させてきた実践者であり,各治療法の特徴,共通性と差異を読み取ってもらえればと思う.読者の中には,複数の治療法について研修を受けた方も少なくないだろう.複数の治療法の選択が可能な場合,どれをどんな患者に適応するのかは,大きな課題である.もちろん治療者の熟達度が大きく影響するだろうが,患者の年齢,トラウマの種類,性格,症状のプロフィールなどによって,治療法を選択するとすれば,どのような視点を持てばよいのだろうか.この挑戦的な問いに対して,筆者の若き同僚である田中が自身の経験から論じている.
 Schnyderは特別講演の中で,心理療法の将来の方向性として,トラウマ中心の治療と特異的な障害に対する治療を組み合わせて効果を高める可能性,簡便なミニ・インターベンションを開発する必要性,治療の要素として個人のレジリエンスを高めること,そしてPTSD治療のメカニズムをより深く検討することを挙げている.今回特集したように,われわれは今や複数の有効な治療選択肢を持っている.それらを洗練されていくとともに,そこに立ち止まらず,さらに有効で利用しやすい治療法や介入法を検討していかなければならない.

文献

1)Schnyder,U.,Ehlers,A.,Elbert,T.,et al.:Psychotherapies for PTSD;what do they have in common?,European Journal of Psyahotraumatology,6:1,28186,2015.
2)ウルリッヒ・シュニーダー:外傷関連障害に対する心理療法:その共通項とは? トラウマティック・ストレス,13;105-110,2015.

持続エクスポージャー療法(PE):情動処理による恐怖記憶の修正

金  吉晴

持続エクスポージャー療法(PE)はPTSDへの治療効果が多くの研究によって証明され,各種ガイドラインで推奨されており,日本でも保険適用となっている.慢性PTSDでは記憶の出来事,情動,思考,知覚が断片化して過剰に結びついた恐怖記憶が形成されており,自己と世界についての否定的認知が強化され,そのために恐怖記憶への回避が生じ,負の強化が生じている.PEの目的は修正的情報を取り入れて恐怖記憶を適応的な記憶にすることであり,エクスポージャーの技法は負の強化を減少させ,記憶を適切に賦活することで修正を生じやすくし,記憶の中から修正的情報の発見を促すために用いられる.認知処理によって学習を強化することが重要であり,実験心理学の消去学習とも共通するところが大きい.PEの治療前後の効果量は1.5を越えており,今後のさまざまな精神療法のベンチマークとして位置付けられる.

認知処理療法(CPT):包括手引きを踏まえて

伊藤 正哉・片柳 章子・宮前 光宏・高岸百合子・蟹江 絢子・今村 扶美・堀越  勝

認知処理療法(Cognitive Processing Therapy:CPT)は30年以上前に開発され,現在では最も広く研究されているトラウマに焦点を当てた認知行動療法のひとつである.本稿では,最近改定されたCPTの包括手引きを踏まえてその介入内容の現状を紹介するとともに,最新の重要な知見と課題を整理する.

眼球運動による脱感作および再処理法(EMDR):発展の歴史から本邦における課題へ

菊池安希子

EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作および再処理法)は,1989年に米国のFrancine Shapiroにより開発された心理療法であり,PTSDに有効なエビデンスのあるトラウマ焦点化治療として諸外国のPTSDガイドラインで推奨されている.本稿では,EMDRの包括的な紹介をすることを目的として,発展の歴史,治療モデルとしての適応的情報処理モデル,3分岐プロトコル,8段階から成るEMDR「標準プロトコル」の概要,PTSDおよびその他の障害に対するエビデンス,効果のメカニズム,そして本邦における普及と課題について概説した.

トラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT)

亀岡 智美

TF-CBTは,米国のDeblinger,CohenとMannarinoによって開発された,子どものPTSDへの第一選択治療プログラムであり,国際的に最もその効果を実証されているものである.TF-CBTは,さまざまな治療技法の優れた要素を統合し,「PRACTICE」の頭文字で現わされる治療要素から構成される,トラウマに焦点化した認知行動療法である.我々は,2010年からTF-CBTを学び始め,研究班内での実践を積み重ね,わが国における効果検証に取り組んできた.また,研究班内での人材育成システムを構築し,現在では,より広く一般の臨床家への普及啓発を目指している.本稿では,TF-CBTの概略を紹介するとともに,わが国における普及啓発の現状と課題について述べる.

PTSDの治療選択

田中英三郎

過去40年を振り返るとPTSDの治療研究は飛躍的に発展していった.特に認知行動療法を中心とするさまざまな心理療法の有効性が証明されている.しかしながら,どの心理療法がどういった背景のPTSD患者に有効であるかは明らかでない.本稿では,兵庫県こころのケアセンター附属診療所PTSD専門外来の診療機能と外来統計を紹介するとともに,実臨床の場でどのように治療選択がなされているか当センターでの経験的知見を考察した.

被害後早期における犯罪被害者および遺族のPTSD症状

櫻井  鼓

本研究は,被害から比較的早期にある全国の犯罪被害者,遺族を対象に,PTSD症状とそのリスク要因について検討することを目的とし,質問紙調査を行った.有効回答者は合計378名で,そのうち殺人遺族85名,交通事故事件遺族61名,暴力被害者47名,性犯罪被害者40名,被害からの経過期間は平均32.1カ月だった.遺族および暴力被害者では生活全般に対する満足感,性犯罪被害者では異性関係に悪影響があると感じられやすく,遺族および被害者の2割以上が友人または家族関係に悪影響を感じていた.PTSD症状全体の重症度では被害種別による有意差は認められなかったが,過覚醒症状では殺人遺族が有意に低かった.PTSD症状のリスク要因は,遺族では女性であること,被害者では被害からの経過期間の短さであった.支援において,遺族の場合,女性の精神症状に配慮すること,被害者には,被害後の時間が経過していない人の精神症状に配慮することが必要だと考えられた.

ICD-11におけるPTSD/CPTSD診断基準について―研究と臨床における新たな発展の始まりか,長い混乱の幕開けか?

飛鳥井 望

ICDとDSMという国際的に強い影響力を持つ2つの診断システムが,PTSD診断基準に関して異なる立場を取ることがあきらかとなった.DSM-5は,PTSDの病態としての典型的特徴を表す症状項目を一部DESNOS的症状も含めて広く定義している.一方,ICD-11は,診断基準項目を簡素化し,「再体験」「回避」「脅威の感覚」の3症状カテゴリーの中核症状として狭く定義している.さらにICD-11は,長期反復性トラウマとの関連が強い複雑性PTSD(CPTSD)を定義し,その定義の中でDESNOS的症状は「自己組織化の障害(DSO)」として括った.本稿ではDSM-5との相違点を明確にしながら,ICD-11のPTSD/CPTSD診断基準について議論する.

トラウマインフォームドケア:公衆衛生の観点から安全を高めるアプローチ

野坂 祐子

トラウマは,精神健康をはじめ身体的健康や社会生活など広範囲にわたる影響を及ぼすことが明らかにされており,さまざまな領域で「トラウマを念頭に置いたケア(Trauma-Informed Care:TIC)」の必要性が認識されつつある.TICは対人援助に関わるすべてのスタッフが援助関係において,対象者と支援者が共有することになるトラウマの影響を認識し,トラウマ反応を理解しながら関わり合うことで,再トラウマ体験を防ぎ,回復を促進させる,ケアシステム全体を意味する.TICは,トラウマに関する情報の周知と心理教育を中心とする公衆衛生的アプローチであり,トラウマに起因するとみられる症状のある人を「トラウマに対応したケア(Trauma-Responsive Care)」や専門的な「トラウマに特化したケア(Trauma-Specific Care)」につなげる.TICは,トラウマを「見える化」し,本人や周囲の理解を得ることで回復への動機を高める.安全の確保と再演の予防も重要である.トラウマは支援者や組織にも影響を及ぼすため,健全な組織づくりが不可欠であり,社会全体がトラウマへの認識を高めることが望まれる.

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