第18巻第2号(2021年1月発刊)抄録集

公開日 2021年05月06日

巻頭言

 2020年、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックは、私たちの社会生活を大きく変えるものとなった。ウィルスがもたらす影響は、感染症の治療という医療の問題にとどまらず、見えない脅威に対する心理的混乱や突然の喪失にまつわる心理的葛藤を引き起こしている。この危機に対する心理的研究や介入支援は、今後ますます必要とされていくだろう。また、危機に際して、より脆弱な立場にある人たちの精神健康の問題も懸念される。社会的スティグマの防止や適切な対応など、これまで本学会が取り組んできたさまざまな経験や知見を活かしていくことが望まれる。

 本学会の第19回大会は、舞子での開催が取りやめとなり、初のWEB開催となった。阪神淡路大震災から25年を迎え、また東日本大震災から10年目の節目となるこの年に、神戸の地でトラウマティック・ストレスに関する学術集会を行うことは、大会長をはじめとする学会員一同の願いでもあった。しかし、この苦難の時期に新たな方法を模索し、学会員のみならず国内外の関係者がつながりを築く機会が持てたのは、大変意義深いことであった。大会のテーマであった「トラウマの記憶と継承~回復と語り継ぐこと~」にあるように、過去のトラウマに向き合い、トラウマを生き抜いてきた智慧と経験を継承しつつ、今、この危機に対して取り組むことこそが、新たな未来につながっていくといえよう。

 当学会では、Webページ(https://www.jstss.org/)の「PTSDトピックス」において、「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)関連情報について」の最新情報を発信している。パンデミックによる精神健康上の問題や派生的問題の予防と対応に役立てられる情報を随時更新しているので、広く活用いただきたい。今後も、専門家同士のネットワーキングだけでなく、広く社会の理解を深め、心身の健康の回復を支える学会として取り組んでいきたい。

2020年9月

大阪大学大学院人間科学研究科

野坂 祐子

特集 COVID-19がもたらすトラウマ領域での課題

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の感染拡大と子どものこころ

宇佐美 政英

わが国に限らず,世界中で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛威を奮っている.その猛威は,子どもたちにも波及し全国一斉休校という未曾有の施策がとられ,子どもたちは自宅に突然閉居するしかなくなった.社会的な閉塞感と見通しの立たない不確実性に大人に限らず,子どもたちも不安を高めている.自宅にいることで友達と会えずに孤立感を高める子どももいるだろう.親自身も今後の生活が不透明な状況下で,子育てに余裕がないだろう.また,感染防止の観点から家庭生活が社会から距離を取ることによって,児童虐待への早期発見が遅れるかもしれない.大人は感染拡大下での子どもが持つ不安を真摯に受け止め,その不安の多くは誰もが抱える不安だと理解しなくてはならない.感染や重症化しにくいとされる子どもは,より重症化しやすい大人を守るために自粛生活を過ごしている.このような時期だからこそ,大人は子どもへの感謝を忘れてはならないだろう.

 

所属病院内外において新型コロナウィルス感染症₍COVID-19)に対応した医療従事者の心的外傷後ストレス症状と心理的苦痛

 

浅岡 紘季・小井土雄一・河嶌 譲・池田 美樹・宮本 有紀・西 大輔

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染が世界中で拡大しており国際的な公衆衛生上の課題となっている.先行研究より新興感染症に対応した医療従事者においてメンタルヘルスの問題の発生が報告されている.本稿では先行研究の紹介に加え,COVID-19に関する派遣活動を行った災害派遣医療チーム(DMAT)・災害派遣精神医療チーム(DPAT)隊員,および病院内にて勤務をしていたDMAT・DPAT 隊員を対象に,心的外傷後ストレス症状(PTSD 症状)と心理的苦痛の関連要因を検討した研究について紹介する.PTSD症状と心理的苦痛の関連要因は,身体的・精神的疲労および周トラウマ期の精神的苦痛であった.新興感染症の対応を行う医療従事者のメンタルヘルスの問題の予防には,十分なセルフケアを行えることと,周トラウマ期における精神的苦痛のある方へのメンタルヘルスケアが重要であると考えられた.本研究の知見は,新興感染症に対応する医療従事者のメンタルヘルス管理に貢献できると考えられた.

 

保健所における新型コロナウィルス感染症(COVID-19)対策の現状と課題

 

高木 明子

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は,指定感染症として感染症法上の2 類相当に位置づけられており,保健所は相談,受診調整,polymerase chain reaction(PCR)検査,感染者に対する積極的疫学調査,入院調整,病院への移送など,さまざまな業務を担当している.
今回,感染が拡大する中で保健所の業務も急激に増加し,現場は混乱し長時間の残業も発生した.また,保健所の業務過多に加え,報道の過熱,突然に示される国の方針転換などへの対応にも追われる状況であった.多くの職員を動員して対応に当たったが,職員間の役割分担や事務処理の効率化,検査体制の確保など,多くの課題が明らかになった.保健所として健康危機発生に備え,平時からの体制の強化に努めておく必要性について,改めて実感した.
COVID-19への対応は現在も継続中である.今後も引き続き,保健所として確実に必要な対策を実施していくよう努力する.

 

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)と悲嘆、遺族ケア

 

中島 聡美

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックで多くの人が亡くなっており,遺族のメンタルヘルスは重要な社会的課題である.COVID-19感染症では,感染予防のため面会や看取りが困難な状況があり,遺族が死を受容することが困難であったり,罪責感や後悔が強くなることが考えられる.また遺族に対してのスティグマや差別の問題も生じている.これらの特徴は,遷延性悲嘆症(prolonged grief disorder)をはじめさまざまな喪失の課題(公認されない悲嘆(disenfranchised grief)やあいまいな喪失(ambiguous loss)など)やメンタルヘルスの問題のリスクとなる.遺族のケアには,患者が治療を受けた医療機関での生前からの配慮(対面の機会,メンタルヘルス担当者との連携など)やインターネットや電話などを用いた遠隔心理療法の提供,遷延性悲嘆症の認知行動療法の普及などが重要である.

 

原著

 

東日本大震災で遺体関連業務に従事した陸上自衛官と民間企業就労者の環境レジリエンス比較

前野 良和

本研究では,東日本大震災で遺体関連業務に従事しながら精神的健康を維持していた陸上自衛官の環境レジリエンスについて明らかにすることを目的とし,遺体に接触または視認した陸上自衛官124名と民間企業の就労者154名を対象に,レジリエンス,自尊感情,精神的健康の尺度を用いて比較した.各変数のt検定の結果から,陸上自衛官は,環境レジリエンスであるソーシャルサポート,個人レジリエンスの自己効力感および社会性,そして精神的健康が有意に高かった.さらに,相互作用について多母集団の同時分析で検討したところ,双方の職業ともに環境レジリエンスから精神的健康への直接的関連が示され,陸上自衛官にのみ環境レジリエンスから自尊感情を介した精神的健康への間接的関連が示された.これらより,遺体関連業務に従事していた陸上自衛官の精神的健康の維持には環境レジリエンスの影響が考えられた.

 

 

このページの
先頭へ戻る