第20巻第2号(2022年12月発刊)抄録集

公開日 2023年01月31日

巻頭言

 日ごと寒さが増して、冬はもうそこまで来ていると感じられる。私が住んでいる岩手の冬は厳しく、薪ストーブの前から離れられない季節が今年もまた巡ってくる。

 ウクライナの子どもたちは、この厳しい冬をどう過ごすのだろうか。多くの公共施設が破壊され、学校に通うことができない子どもたちも少なくないことだろう。

 児童精神科医として、日常診療でもっともよく出会う問題の一つに「不登校」がある。子どもは毎日学校に通うのが当たり前という世の中において、我が子が学校に行かなくなることは保護者にとって極めて心配なことであるし、学校にとっても早急の対応を迫られる難しい問題である。子どもも本人は、たいてい「学校に行かなければ」と思いながら「行けない」のであるが、むしろ自ら「学校へ行かない」という選択ができる子どもは、自分自身のこころと身体がストレスに晒されて悲鳴を上げていることを表明できているという点で、多少なりともレジリエントであると言えるかもしれない。「行きたくない」と言えず、「行くしかない」と諦め、苦痛に満ちた時間に耐えるしかない「不登校を選べない」子どもたちがいることも我々は忘れてはならない。

 「行きたくない」と子どもが訴えたら、「(ひきこもりになってりしないように)なんとか登校させなければ」と焦る前に、じっくり子どもの話に耳を傾けてほしいと願う。そして、再登校に向けた支援の過程は、スモールステップで、緩徐かつ慎重に、子どもの状態に合わせてものであってほしい。風前の灯のような、わずかな気力をつないでようやく生きている子どもには、その灯を消さないような庇護と配慮のもとで癒される時間が絶対的に必要なのである。

 薪ストーブの中で燃え盛る炎が、やがて熾火(燠)となって芯の部分が真っ赤に静かに燃えている状態になると火力は安定し、そこに楢や樫などの太くて上質な広葉樹の薪をくべれば火力は衰えることなく燃え続ける。しかし薪を足すのを忘れて燠がわずかしかなくなった状態に慌てて太い薪をくべたら、たちまち燃えさしとなって火は消えてしまう。わずかな火種を絶やさぬように小枝や細かく割いた針葉樹を少しずつ慎重に足しながら辛抱強く見守ると、炎が少しずつ大きくなり、再び熾火が溜まり始め、太い薪を受け入れてさらに安定した状態を維持できるようになる。

 ウクライナの子どもたちが、無事に厳しい冬を乗り切って欲しいと願うこの頃である。

2022年11月

岩手医科大学医学部神経精神科学講座/付属病院児童精神科

八木 淳子

特集 トラウマと紛争・戦争

モルドバにおけるウクライナ難民調査と日本のPTSD支援の可能性

東 大作

ウクライナ戦争が続く中,筆者は,2022年9月7日から17日まで,ウクライナの隣国,モルドバに滞在し,現地調査を行った.モルドバのセレブリアン副首相をはじめ,政府高官計20人にインタビューを実施しつつ,あわせて13人のウクライナ避難民から,それぞれ約1時間の聞き取りを実施した.調査の結論としては,モルドバに日本のPTSDの専門家チームが,地元で支援活動を続ける日本のNGOs(「ピースウインズジャパン」や「難民を助ける会」等)と協力し,日本政府のウクライナ難民支援の資金も獲得しつつ,首都キシナウ市内の難民センターなどで,100人程度でも,ウクライナ難民の精神的状況に関する医学的調査を行い,それを基に支援も行うことができれば,非常に意義が大きいと考える.調査の結果と支援は,世界中に逃れている750万人ものウクライナ難民の心の状態を知り,その支援に向けた方向性を示す日本独自の支援にも繋がるからだ.

紛争時の精神保健・障害・ウェルビーイング:国際機関の現場から

井筒 節・堤 敦朗

第2次世界大戦終結から77年.紛争は,複雑化・長期化しながら,世界中で続いている.2022年,難民や国内避難民の数は,史上初めて1億人を突破した.人道危機時の精神保健・ウェルビーイングは,2007年のIASCガイドライン,2015年の持続可能な開発目標(SDGs)等を経て,国際社会における優先化が進んできた.人道アクションの中で実施される精神保健・心理社会的支援も,「害を与えない」実践を目指すものから,「人権」に基づくマルチセクターの実践へとさらなる進化を遂げ始めている.2019年にIASCが発表した障害を包摂した人道アクションに関する新ガイドラインをもとに,精神・知的障害のある当事者参加,制度・環境・態度をめぐるアクセシビリティの確保,さまざまな違いのインターセクションと包摂,最も苦しいところから対応することを基盤とする新しい実践が,今,求められている.

【原著】

強直性不動反応尺度(Tonic Immobility Scale)日本語版の尺度特性

斎藤 梓・飛鳥井 望

Tonic Immobility(強直性不動反応:TI)は,恐怖に直面した際に発生する,身体が動かない,声が出せないといった状態を指し,性暴力被害においてよく見られるとされる.本研究の目的は,このTIを測る尺度であるTonic Immobility Scale(TIS)の日本語版を作成し,探索的因子分析や内的整合性,構成概念妥当性の検証を実施し,尺度特性を示すことであった.ウェブ調査会社を通して男女合わせて5,973名にウェブ調査を実施し,そのうち性暴力被害体験のある1,547名(男性310名,女性1,237名)のデータを対象とし,分析を行った.最小二乗法,プロマックス回転にて探索的因子分析を行った結果,TIS解離とTIS不動の2因子構造が得られた.TIS解離,TIS不動それぞれの因子は内的一貫性が保たれ,理論的にも整合性が取れていると考えられた.かつ先行研究の通りPTSD症状との関係が推測されることが分かり,日本においてもTIを測る尺度として利用可能であると考えられた.

【資料】

交通事故被害者の刑事手続きへの心証と心理的苦痛の変化

藤田 悟郎・柳田 多美・櫻井 鼓・岡村 和子・小菅 律

本研究の目的は,2004年に策定された犯罪被害者基本計画の前後における,交通事故被害者の刑事手続への心証と心理的苦痛の変化を考察することであった.遺族と重傷被害者,491人と561人を対象に1997年に実施した調査と,2013年に同じ対象者,454人と370人に実施した調査で得られたデータを分析した.本研究の結果は,交通事故捜査と警察官への心証が肯定的に変化していることを示した.警察官への研修や刑事手続への関与拡充への取組が,被害者の疎外感を軽減し,刑事手続への心証の改善に寄与したのではないかと考えられた.心理的苦痛については,2つの調査で質問項目が異なるため,数値の比較はできなかったが,被害者の中には,重篤で持続的な心理的苦痛を抱える人が一定の割合で存在するという点において変化はないと考えられた.医療機関やカウンセリングの利用者は少数であり,援助が必要な人を発見し,専門的な支援につなげることが課題であると考えられた.

急性期性暴力被害者向けWEBプログラム(SARA)ー実行可能性の検証

今野 理恵子・淺野 敬子・山本 このみ・小西 聖子

本研究では,性暴力被害後に精神科初診となった患者が,診療を中断することなく,認知行動療法実施につながることを目的として作成したWebプログラム(SARA)の安全性,実行可能性を検証した.2016年12月からの2年間に性暴力被害後に初診で訪れた患者19名に対して,実施期間を3カ月としてSARAを提供し,心理検査結果,中断率の発生頻度,満足度を数値化して分析した.その結果,中断数の減少と,心理検査の得点が減少したことから,プログラムがPTSD症状に対して害をなすものではなかったと考えられる.さらに,満足度も高く,プログラムが中断を防ぎ,治療の継続を促進することの可能性が示唆された.今後,プログラムの実行可能性を確証するために,多施設での実施および検証が必要である.

 

 

 
 
 

 

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