第21巻第1号(2023年6月発刊)抄録集

公開日 2023年08月29日

巻頭言

 私は、平成18年に児童相談所の常勤医師になった。そのころ親友の医師が、トラウマティック・ストレス学会に行ってきたと言ってプログラムを見せてくれた。児童相談所に勤務を始め、虐待を受けた子どもに出会い始めた私が知りたいことがプログラムにはたくさん詰まっていた。是非この学術集会に行きたいと思い、次の年から毎年トラウマティック・ストレス学会の学術集会に参加した。

 虐待を受けた子どもが大暴れするのも、ちょっとした叱責に驚愕し、意識消失してしまうのも、トラウマや解離についてこの学会で学ばなければ分からなかっただろう。この学会と出会えたことに感謝している。

 そして、児童相談所の児童福祉司や心理司、保健師、一時保護所職員、児童福祉施設の職員等にこの子たちの行動や症状について説明し、この子たちにとってどんなことが大切なのかを多職種、多機関で話し合った。トラウマについて説明し、皆が理解しその子に必要な生活の中の治療が行えるようになった。今思えば、これがトラウマインフォームド・ケアであった。その後PEやTF-CBTなどを学び、トラウマインフォームド・ケアを学びながら、子どもたちに多職種で懸命にかかわってきた。

 虐待を受けた子どもたちの中にはトラウマを抱えている子どももいて、その子どもたちは暴力や暴言や自傷行為、解離などさまざまな症状を呈することがある。そのような子どもたちと日々生活の中でかかわっている一時保護所の職員や、里親、児童福祉施設の職員の中には日々傷つき、疲労困憊している人もいる。この仕事をしている人たちは、さまざまな症状を持つ子どもと向き合いながら、子どものために必死で頑張っている。今、必要と思うのは、虐待を受けた子どものトラウマインフォームド・ケアのみでなく、子どもと生活をともにする職員等へのケアである。そこに医師として少しでも力になりたいと切に思う。

 虐待を受けた子どもや、その子たちとかかわり奮闘している大人に、多くの医療者が適切な治療を提供しエンパワーしてほしい。

2023年4月

港区児童相談所

田﨑 みどり

特集 複雑性PTSD臨床における「勘所」

Complex PTSDに対する治療の現在地―推奨事項,エビデンスと今後への期待

大江 美佐里

Complex PTSD(複雑性心的外傷後ストレス症)に対する治療について,1)推奨事項,2)現在のエビデンスのまとめ,3)今後への期待,の 3 点を論じた.治療の前提として安全と信頼を確立するためのトラウマを意識した接し方と自己組織化の障害に関連した症状を意識して対応することが求められている.今後への期待として弁証法的行動療法を基にした治療,アートをベースとした介入,exposureの名称変更,治療環境の違いを意識した介入について取り上げた.

STAIR Narrative Therapy実践の勘所

丹羽まどか・加藤 知子・大友理恵子・須賀 楓介・大滝 涼子・金 吉晴
STAIR Narrative Therapy は児童期虐待サバイバーのため段階的治療として開発され,複雑性 PTSD が想定される患者の治療として検証されてきた治療法である.複雑性 PTSD の各症状に対応した形で治療要素が組み立てられており,前半のSTAIR(Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation)では感情調整や対人関係のリソースを構築し,後半のNarrative Therapyではトラウマ記憶に取り組む.本稿では,治療内容の詳細ではなく治療プロセスやセラピストの働きかけに焦点を当てる.そして,日本での治療経験の蓄積,スーパービジョンやワークショップを通した学び,治療者同士の議論などに基づいて,STAIR Narrative Therapy を実践する上で重要な側面について考察する.
 

複雑性PTSD臨床に携わるようになった経緯と我流・支援のあらまし

原田 誠一
本稿では本誌編集部からいただいたテーマに沿って,筆者の複雑性PTSD にまつわる個人的な臨床経験を紹介する.筆者は元来トラウマへの深い関心を抱いていなかったが,精神医療に携わった直後から現在まで,一貫して複雑性 PTSDに関わってきた.本稿ではその内容を,①症例報告,②各種精神疾患と複雑性 PTSDの関連(統合失調症,うつ病,不安症,パーソナリティ症,性の問題),③複雑性PTSD の治療(心理教育,精神療法,薬物療法),④複雑性PTSD の社会・歴史的背景に分けて,各々と関連のある自著論文の概要を述べる.続いて複雑性 PTSD 臨床で,現在筆者が行っている支援のあらましを供覧する.そこでは,①まず診療の概要(心理教育,精神療法,薬物療法,養生)を記して,②次に治療をいくつかの局面に分けた上で,各状況における筆者の実践の内容を紹介する.
 

誰も信じられずに自傷を繰り返すしかなかった青年期女児Aの治療過程

早川 宜佑・岩垂 喜貴・笠原 麻里

ICD-11の診断基準を満たした複雑性心的外傷後ストレス症の女児 Aの入院治療過程を報告する.Aは幼少期に両親が離婚し,養育者との葛藤が長期間続いた.不登校状態となり,青年期早期に新たな心的外傷体験を受けた.その後自傷行為と自殺企図が出現しコントロールができず,1年以上の入院治療を余儀なくされた.Aは入院後もフラッシュバックや解離を伴う自傷行為や自殺企図を繰り返した.治療に難渋したが,医療者と情緒的な関わりを重ねながら甘えや安心を感じるようになり,養育者との面会に医療者が同席して家族交流を援助した.A の養育者は自分の愛着関係にトラウマを抱え,A との情緒的交流は乏しかった.その結果,A は幼児期からメンタライジングの機能不全に陥った.入院治療で Aを傷つきの繰り返しから守り,情緒的交流を重ねた.A の情動コントロールは改善したが,退院後も治療が必要であると予想される.

【原著】

非適応的心的外傷後成長の状態像の明確化に関する検討

東 明奈・渡邊明寿香・伊藤 大輔

本研究の目的は,非適応的な心的外傷後成長(以下,PTG)が生じる背景要因を検討し,状態像の明確化を図ることであった.広義の心的外傷体験者 432 名を対象に,PTG と QOLを用いて「適応型 PTG群」,「非適応型 PTG 群」に分類した.共分散分析の結果,非適応型 PTG 群は適応型 PTG 群と比較して,認知的回避が有意に高く,楽観主義,PTGに基づいた行動変容が有意に低かった.また,非適応型 PTG群においては,相関分析の結果,QOLは認知的回避と負の相関,楽観主義と正の相関があり,PTGに基づいた行動変容とは関連しなかった.さらに,重回帰分析の結果,楽観主義のみが QOL に対して有意な正の影響を及ぼしていた.これらより,非適応型 PTG 群は,認知的回避を多用していることが QOLの低下に結び付いたり,PTGに基づく行動的変容が少ないことがQOLを向上させない可能性があり,適度な楽観主義傾向は QOL を高める要因として機能することが示された.

【実践報告】

児童相談所における傷つきを抱えた親子への支援

小平かやの
児童相談所(以下,児相)は,日々,傷つきを抱えた親子への支援に追われる現場である.さまざまな逆境体験により,親子それぞれが,感情調整や対人スキルの課題を抱える事例では,児相職員を始めとした支援者が,その対応に疲弊している場合も少なくない.児相は,福祉司,心理司,医師,事務職など多職種が関わる現場であり,トラウマ関連症状やアタッチメントの課題などについて,関係者全体の共通理解を基盤とした支援が必要となる.東京都児童相談所では,エビデンスに基づく治療(Evidence-Based Treatment:EBT)の効果的な実践を模索する中で,トラウマインフォームドケアの概念を基に,二次受傷なども含めた職員研修を実施し,組織全体の共通理解に基づく支援体制の構築に取り組んでいる.今後は,職員の入れ替わりも多い児相の現場において,組織全体での長期的な取り組みを目指していきたいと考えている.
 

児童相談所と協働したトラウマケア体制整備の取り組み―岡山県子どもの心の診療ネットワーク事業を通じて―

大重 耕三
我が国では,児童虐待への関心が集まり,トラウマケアに対するニーズも高まっている.岡山県では,基幹的な精神科医療機関である岡山県精神科医療センターを拠点病院として,「岡山県子どもの心の診療ネットワーク事業」(以下,当事業)を実施している.当事業では,児童虐待に対応する児童相談所との協働的な連携を通じて,精神科医療ニーズに迅速に対応し,児童虐待予防のための施策に積極的に関与している.現在,児童虐待や犯罪被害などによるトラウマを受けた患者の心理治療について,必要とする事例に安定的に提供できる体制づくりや,機関を超えて経験が共有され地域内で学びあえる環境づくりを推進しており,理念を共有する人材を育成している.トラウマを抱えたケースを支援・治療する際は,困難なケースであるほどに,各機関の協働的な連携が必要となるが,さらに各機関の取り組みを各々で “ 半歩前に ” 進めることが重要である.
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