第24巻第1号(2026年6月発刊)抄録集

公開日 2026年09月08日

巻頭言

 2017年6月,性犯罪に関する刑法の改正が国会で成立した.当時,110年ぶりの大改正であると言われた.その改正の前から日本でも#MeToo運動が起き,改正後には2019年3月に報道された4件の無罪判決を契機としてフラワーデモが行われ,性暴力・性犯罪に対する社会的関心は年々高まっていった.そして2023年6月には,性犯罪に関する刑事法の改正,および面会要求罪や撮影罪の新設など,2017年よりもさらに大幅な変更が成立した.その後,芸能事務所での性暴力事案や教職員による性暴力事案などが連日報道され,2026年12月には日本版DBSと言われる制度を含むこども性暴力防止法が施行される予定である.
 変化したのは,法律の側面だけではない.2017年の改正では,肛門への性器の挿入が構成要件に加わり,男性が被害者の場合も強制性交等罪が適用されることになった.当時は警察や司法関係者のあいだでも戸惑いが見られたことを覚えているが,今では,男性が性暴力の被害に遭う場合があることを,社会も認識するようになっている.また,2023年の改正の前には,14歳の子どもに対して大人が性行為をすることについて,なぜそれが犯罪になるのかと議論が起きていた.だが今では,中学生年齢の子どもを性暴力から守ることについて,社会の多くの人が当然のことだと考えるようになっている.そして不同意性交等罪という名称がついたことを契機に,社会では性的同意について議論が深まっている.
 法律だけではなく,社会の意識も確実に変化していることを感じる.しかしそれは,自然に発生したことではない.被害を受けた当事者の人々が声を上げ,誹謗中傷を受けながらも声を届け続けた結果である.ただ,傷を負った人が,さらに傷つけられながら声を上げないと変わらない社会に疑問も感じる.当事者の人々の様子をそばで見ていたからこそ,専門家が研究や臨床知見を積み重ね,それを社会に伝えることが大切だと思っている.
 また,依然として,性暴力の被害に遭った後に支援につながり,ケアを受けることが難しい状況がある.専門家として,研究者として,誰もが支援を受けられる体制を作っていきたいと考えている.

2026年3月

上智大学総合人間科学部

齋藤 梓

特集 当事者とともに考えるトラウマティック・ストレスとレジリエンス

当事者性をもつ支援専門職 -トラウマ支援における可能性・危険性・倫理的実践

白川(西)美也子

本稿は,被害経験をもつ支援専門職――「当事者性をもつ支援専門職」――がトラウマ支援においてもたらす可能性と課題を理論的に整理することを目的とする.傷ついた治療者・当事者研究・lived experience workforceという3つの系譜を概観した上で,当事者性を「どこにいるか」ではなく「いかに動くか」という動態的な位置として捉える三層モデル(個人・関係・構造)を提示する.臨床的可能性として①共感的理解の深化,②希望の提示,③関係性形成における優位,④神経生理的調整機能,⑤スティグマを超えるロールモデルを提示し,同時にそれらが諸刃の剣として機能する両義性を示す.さらに構造的相互再演の概念を通じて,当事者性が個人・関係・組織の三層において同時に展開される構造的現象であることを論じる.最後に,解離を選ばず自己の複数性を関係の中に開くという倫理的実践と,それを支える制度的条件を検討する.

トラウマ治療と裁判終結後における性暴力トラウマからの回復 -被害経験と当事者活動の実践から

卜田 素代香

性暴力被害からの回復は,症状の軽減や公的支援の利用によって完結するものではなく,その後の日常においても継続するプロセスである.本稿は,性力被害からの回復について,公的支援終結後の中長期的プロセスも含めて考察することを目的としている.筆者自身の被害経験と当事者活動「THYME」での実践をもとに,回復を「安全の確立」「想起と服喪追悼」「再統合」の段階に沿って振り返る.特に,刑事裁判における被害者参加を通じた語りの獲得や,その後の燃え尽きと日常への再接続の過程に着目した.さらに,当事者同士の関係性のなかで,経験やトラウマへの意味づけが共有され循環する実践が,回復の持続と深化に寄与する可能性を述べる.当事者実践である「THYMEを送る」という概念を,回復過程で得た経験を他者に手渡す行為として位置づけ,回復は個人内で完結するものではなく,他者との関係性のなかで更新され続ける過程であることを論じる.

 

レジリエンスの過大評価 -レジリエンス概念の再考と社会的養護経験者の当事者活動

香坂 ちひろ

本稿は,著者の社会的養護経験とInternational Foster Care Alliance(IFCA)での実践に基づき,レジリエンス概念が孕む問題を批判的に考察するものである.レジリエンスは,逆境を乗り越える個人の能力として語られる際,社会的・構造的な問題を不可視化し,当事者を「乗り越えられた者」と「そうでない者」に序列化する選別装置として機能する危険がある.IFCAでは,この個人能力モデルを脱却し,根本原因分析を通じて「10のメンタルヘルスビジョン」を策定するなど,問題を構造的に捉え直す活動を展開してきた.結論として,レジリエンスを個人の強さの物語に還元せず,回復を可能にする「関係的・構造的な現象」として定義し直すことを提案する.当事者の弱さや「息切れ」をも包摂し,制度や社会の変革を目指すことこそが,真の当事者参画の条件であると論じる.

 

トラウマ治療と二次被害 -トラウマインフォームドケアの再考

岡野 律

本稿では,筆者が2020年から5年間にわたり当事者支援団体で活動してきた相談支援の実践をもとに,治療者・支援者による二次被害の実態とその構造を明らかにする.寄せられた相談の約90%が二次被害に関するものであり,2020年に実施した被虐待経験のあるAYA世代81名のアンケートでは約40%が二次被害を経験していた.トラウマインフォームドケア(TIC)は,行動の背景にあるトラウマを理解し再トラウマ化を防ぐ支援の枠組みであるが,日本では医療・福祉・教育の各領域で独自に発展し,統一的な枠組みとして浸透していない.筆者の経験および当事者の声から,支援方針の突然の変更,否定的な言動,権力差の固定化などが二次被害を生じさせる要因として示された.二次被害を防ぐためには,支援者が自身の反応を理解し,当事者の背景にあるトラウマを踏まえた関わりを行うことが不可欠である.TICの視点が対人援助職に広く浸透することが強く求められる.

 

当事者経験からみるトラウマと二次被害の構造 -周縁化のリスクとトラウマインフォームドケア

丘咲 つぐみ

本稿は,筆者自身の当事者としての経験を出発点に,社会的養護につながらなかった児童虐待経験者の実態調査および逆境的小児期体験を有する当事者の二次被害調査,さらに支援現場での実践を通して,当事者が直面する困難の構造を検討したものである.その結果,困難は個人の内面に還元されるものではなく,制度的な接続の困難さや関係性のあり方との相互作用の中で形成・強化されていることが明らかとなった.特に,不適切な関わりが二次被害を生み,支援からの離脱や社会的孤立を深める要因となっている実態が確認された.一方で,トラウマインフォームドケアに基づく関わりの積み重ねにより,安全感の回復や支援への再接続や社会参加に至る可能性も示された.以上より,回復にはトラウマインフォームドな関わりが不可欠であり,その過程においてレジリエンスが育まれる可能性が示唆された.

 

トラウマをめぐる対話空間の創出を目指して -トラウマリカバリーカレッジあさがやの試み

水谷 みつる

本稿では,トラウマに焦点を当てた学びの場として2019年に設立された「トラウマリカバリーカレッジあさがや(TRCあさがや)」の実践について,「トラウマをめぐる対話と当事者研究の会」を中心に報告する.「対話と当事者研究の会」では,約束事をまとめた「ご参加の皆さまへ」と対話のガイドである「トラウマサバイバーのための対話の心得」を作成し,自由と制限のバランスを図りながら,参加者とともに安全な場づくりを目指してきた.また,「~を読む」「当事者研究」「哲学対話」の3つを柱とすることで,個別的で具体的な経験と一般的で抽象的な知識や思考のあいだに往還が生じる構造をつくり,個別の苦しみを他者と共有可能なものへと開いていく可能性を模索してきた.本稿では,こうした対話を基盤とした場づくりの理念と実践上の工夫,ならびにトラウマをめぐる語り合いの場の意義について考察した.

原著

トラウマ体験に曝露される支援者の成長を測定する 代償性心的外傷後成長尺度日本語版の作成

木田 豊美 ・藤生 英行

代償性心的外傷後成長とは,トラウマ体験等つらい経験に間接的に接することで生じる個人の価値観や対人関係の変化である.これまで,代償性心的外傷後成長の測定に心的外傷後成長尺度が援用されていたが,トラウマの代理的曝露者特有の体験を十分に捉えていない可能性がある.本研究は,日本語版代償性心的外傷後成長尺度の信頼性と妥当性を検討することを目的とし,相談支援を行う194名を対象に質問紙調査を実施した.確認的因子分析の結果,構造的妥当性は原版と同様3因子25項目で確認され,原版に準じて「個人の内的・対人関係の変化」,「ネガティブな体験」,「クライエントの影響」についての因子が抽出された.また,内的一貫性と収束的妥当性が示され,日本語版代償性心的外傷後成長尺度はトラウマ体験の代理的曝露者の代償性心的外傷後成長を測定可能な尺度であることが示唆された.

 

PTSD臨床診断面接尺度CAPS-5の心理測定学的特性に関する動向

中山 千秋 ・宮前 光宏・伊藤 正哉

本総説は,心的外傷後ストレス症(PTSD)の診断・評価において,ゴールドスタンダードとされるPTSD臨床診断面接尺度(CAPS-5)について,その成り立ちや特徴,心理測定学的特性について概観した.CAPS-5の信頼性・妥当性については,開発された米国をはじめ,翻訳版が作成された各国においてもおおむね良好な結果が報告されていた.またCAPS-5とPTSDチェックリスト(PCL-5)は構造に共通点が多いことから高い相関を示すものの,評価法のなど違いがあり,同一あるいは相互に置き換え可能な尺度とみなすことは適切ではないことが指摘されていた.2022年には改訂版であるCAPS-5-Rが開発され,精度の高い尺度の開発に向けて,今後の研究知見の蓄積が期待される.

このページの
先頭へ戻る