公開日 2026年10月09日
「発達性トラウマ」とは何か―トラウマ体験と発達性トラウマ障害(DTD)
近年、「発達性トラウマ」という言葉を耳にする機会が増えてきた。しかし、この言葉には二つの異なる意味があり、しばしば混同されている。
一つは、乳幼児期から思春期までの発達期に経験し、その後の発達過程に持続的な影響を及ぼすトラウマ体験そのものを指す。虐待、ネグレクト、DV、養育者との分離、いじめなどの慢性的・反復的な対人トラウマが中心となるが、発達途上の子どもでは、出産時の外傷体験や医療処置など、成人には軽微にみえる出来事でも深刻な影響を残すことがある。
もう一つは、発達性トラウマ障害(Developmental Trauma Disorder:DTD)という臨床概念である。van der Kolkは2005年、幼少期から反復する対人トラウマが発達全体に及ぼす影響を一つの症候群として捉える必要性を論じ(文献1)、2009年にはNCTSNの研究グループがDSM-5への収載を提案した(文献2)。DTDは、反復する深刻な対人暴力や、養育者の交代・分離、持続する情緒的虐待への曝露を前提に、①感情および生理的状態、②注意および行動、③自己および関係性の調整不全を捉える。強い怒りや恐怖から戻れない、解離、自傷、否定的な自己感、他者への強い不信など、一見ばらばらにみえる問題を、発達とトラウマという時間軸のなかで理解しようとする。第一の意味が「何を経験したか」を表すのに対し、DTDは「その結果どのような状態になったか」を理解する概念である。
なぜ発達期のトラウマは広範な影響を及ぼすのか。第一に、脳と身体が発達途上にあり、ストレス反応を自ら調整する力も未成熟である。第二に、乳幼児の生存と安全は養育者に依存しており、その養育者が恐怖の源となれば、子どもは「近づいても離れても解決しない」ジレンマに置かれる。第三に、発達期は可塑性が高く、有害な経験も神経系や身体の反応パターンとして刻まれやすい。言語化以前の体験は、物語として思い出せなくても、身体感覚や情動反応として残ることがある。さらに、情動調整、身体機能、対人関係、自己感などの発達課題が同時に進むため、影響は一つの症状に収まらず、同じ基底的な困難が、成長に伴って異なる症状や行動として現れることがある。
DTDはDSM-5にもICD-11にも正式な診断として採用されなかった。既存の診断との重複や妥当性検証の不足が議論され(文献3)、感情や注意の調整困難は発達障害でもみられるため、診断基準Aに相当する体験がなくても類似の症状が生じうるという指摘もあった。両者は併存もしうるため、鑑別の検討が欠かせない。しかし、診断名にならなかったことは、臨床的意義がないことを意味しない。臨床家調査では子どもの複雑な臨床像を理解するうえでの有用性が支持され(文献4)、2019年には複雑性PTSDがICD-11に採用されるなど、発達期の対人トラウマへの理解は進んでいる。
私たちが向き合っているのは診断名ではなく人である。その人がどのような環境で育ち、どのように自分を守りながら生きてきたのか。現在の症状だけでなく、発達の時間軸に沿ってその全体像を理解することが、トラウマインフォームドケアや治療の出発点なのである。
引用文献
1)van der Kolk BA: Developmental trauma disorder: Toward a rational diagnosis for children with complex trauma histories. Psychiatric Annals 35(5): 401-408, 2005.
2)van der Kolk B, Pynoos R, et al.: Proposal to include a developmental trauma disorder diagnosis for children and adolescents in DSM-V. Paper submitted to the American Psychiatric Association, 2009(未公刊).
3)Schmid M, Petermann F, Fegert JM: Developmental trauma disorder: Pros and cons of including formal criteria in the psychiatric diagnostic systems. BMC Psychiatry 13: 3, 2013.
4)Ford JD, Grasso D, Greene C, et al.: Clinical significance of a proposed developmental trauma disorder diagnosis: Results of an international survey of clinicians. Journal of Clinical Psychiatry 74(8): 841-849, 2013.
こころとからだ・光の花クリニック
白川(西)美也子
